ご先祖様でググってみたら ちょっとワクワクした話
今回は山田孝之さんのブログ『Y氏は暇人』からご寄稿いただきました。
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ご先祖様でググってみたら ちょっとワクワクした話
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小さい頃に「僕たちのご先祖様はどんな人だったの?」と母に聞いたことがあります。
母の回答は「ただの農家だったから何もないよ」というまあ何とも夢のないものでした。
自分の苗字にも「田」が入っているのでそうなんだろうなと納得しました。(※実際には大名でも「田」が入る人はいます)
でも、自分のず~っと前には確実に自分と血の繋がったご先祖様がいると思うと何とも不思議な気持ちになりました。
江戸時代にも鎌倉時代にも弥生時代にも確実にいたのです。
で、大人になった今でもそういうことを考えたりするのですが、郷土史の研究*1なんかをしていると特にそういうことを考えます。
*1:『原忠順の研究サイト』
http://haratadayuki.com/
「この事件が発生した時、自分のご先祖様は何をしていたのかな?」「無理やり戦に連れて行かれてケガをしたり死んだりしてるのでは?」などと考えて、郷土史の資料の中に名前が出てこないかと期待するわけですが、そもそも苗字以外は知らないわけですから結局は何もわからないのです。
ここは一つ、ご先祖様の名前だけでも調べてみようかと思い立ったわけです。
自分のご先祖様を調べるには市役所に行って「除籍謄本」を取るとよいとのことでした。→ 参考にしたサイトはこちら*2
*2:「除籍謄本の請求方法」 『江戸時代以前の家系図作成 ~現地調査・古文書研究等による徹底調査~』
http://www.fujita-gyousei.com/index.php?%BD%FC%C0%D2%C6%A5%CB%DC%A4%CE%C0%C1%B5%E1%CA%FD%CB%A1
そして・・・
デデン!合計約30枚が発行されました。
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▲すいません、ご先祖様とは言え個人情報満載だったのでぼかしを入れます。
「廃棄証明書は発行しますか?」と聞かれて、よくわからなかったのでお願いしますと答えた所、「廃棄証明書」と書かれた紙がもらえただけでした。廃棄証明書の発行にはお金がかかったみたいです。たぶん個人で趣味として同じような事をする場合は廃棄証明書は必要ないと思います。なんやかんやで合計8000円位かかってしまいました・・・
結果、下記のようにご先祖様に遡ることができました。大体死後100年ぐらいで謄本が抹消されるのでそれより前には遡ることができませんでした。苗字は〇〇で示しています。ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃん以下は名前は記載していません。
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http://px1img.getnews.jp/img/archives/kakeizu.jpg
ひいひいひいおじいちゃん、ひいひいひいおばあちゃんまで遡ることができたみたいです。
ひいひいひいおじいちゃん、ひいひいひいおばあちゃんの世代はおそらく1800年代中盤の生まれだと思います。
1800年代中盤というと幕末まっただ中。ペリーがやって来たりしている頃です。
古いものは達筆な文字で書かれているのでちょっと解読しにくいですが、ひいひいおじいちゃん世代で確実に生まれた年代がわかっているのは赤字で示している3名でした。
「文久」とか出てくると「お~!」っと思ってしまいます。ちなみに右から二番目の「イチ」の生まれた文久2年は寺田屋事件*3や生麦事件*4が起きた年です。
*3:「寺田屋事件」 『Wikipedia』
http://ja.wikipedia.org/wiki/寺田屋事件
*4:「生麦事件」 『Wikipedia』
http://ja.wikipedia.org/wiki/生麦事件
寺田屋騒動とか生麦事件とか聞くと何か遠くの時代の出来事のように思えますが、ひいひいおじいちゃんの世代なんですね。
ここでふと、
ご先祖様の名前をググってみたらどうなるかな
と考えたのです。
▼ で、早速検索してみたわけですが、どれを検索しても何も出て来ない。同姓同名は出るけど年代が明らかに違ったり出身地が違ったり。まあそんなもんだよね。さくさく検索をすすめるけど一向にそれっぽいものは出ない。
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http://px1img.getnews.jp/img/archives/565.jpg
▼ 難しい漢字が出て来ました。読み方がわからない。にびんいまあさごろう?どこまでが苗字でどこからが名前かわからない。
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http://px1img.getnews.jp/img/archives/kakeizu2.jpg
家族の名前を見るとどうやら「二瓶」が苗字のようです。調べてみると「にへい」と読むようです。*5「今朝五郎」の方は「けさごろう」だと思います。
*5:「【名字】二瓶」 『名字由来net』
http://myoji-yurai.net/searchResult.htm?myojiKanji=%E4%BA%8C%E7%93%B6
▼ 期待を込めずにポチッと。おっ?
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中国のサイト?「二瓶今朝五郎」なんて珍しい名前なので絶対にヒットしないと思っていたので意外!
ちなみに一番上はこのサイト
「花蓮邀月旅行–林田神社」 2010年10月14日 『邀月小築民宿花蓮旅遊手扎』
http://tw.myblog.yahoo.com/moon886-idvtw/article?mid=10758&next=10215&l=f&fid=55
▼ 何が書いてあるのかはっきりとはわかりませんが、漢字なのでうっすらわかるかも。
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http://px1img.getnews.jp/img/archives/836.jpg
たぶん旅行記のブログで「花蓮の林田村にある林田神社」について書かれているのだと思います。
「花蓮 林田神社」などでググるとどうやら台湾にある神社のようです。
「林田神社」 『神社のケンキュウ』
http://homepage3.nifty.com/wasi/taiwan/jinja/jinja-hualian/jinja-hualian%203.htm
▼ 読み進めていくと…
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http://px1img.getnews.jp/img/archives/927.jpg
石に「二瓶今朝五郎」の文字!でもただの同姓同名かも
▼ そう思って何かヒントがないかと もう一度除籍謄本を見ると…
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http://px1img.getnews.jp/img/archives/1048.jpg
おぉ!「二瓶今朝五郎」の孫(つまりおばあちゃんとその兄弟)が台湾の花蓮で生まれていました。全然知らなかったな。
この石碑(?)に刻まれているのは間違いないくご先祖様の「二瓶今朝五郎」だと思います!
▼ 地名が変わっているので正確な場所はわかりませんが、住んでいたのはおそらくこの辺りだと思います。
大きな地図で見る
▼ ストリートビューで見るとこんな感じ。のどかなところです。
大きな地図で見る
しかし彼がなぜ台湾に行ったのかが謎です。戸籍を見る限りでは元々は秋田県に住んでいたようです。
▼ 検索結果のもう一つの方のサイトを見てみると…
[花蓮港廳奉郷鳳林庄]豫約開墾成功地賣渡報告(二瓶今朝五郎) 『數位典藏與數位學習國家型科技計畫』
http://catalog.digitalarchives.tw/item/00/10/a5/7b.html
(画像が見られない方は下記URLからご覧ください)
http://px1img.getnews.jp/img/archives/1336.jpg
「[花蓮港廳奉郷鳳林庄]豫約開墾成功地賣渡報告」というものを二瓶今朝五郎が記していて、それがデジタルアーカイブになっているというもののようですが、閲覧はできませんでした。
1917-05-28 ~ 1920-05-24 とありますのでその期間に記されたものだと思います。
その時代のことを調べてみると下記のような記事が見つかりました。
台湾東部の日本人移民村より引用*8
*8:「台湾東部の日本人移民村 」 2010年04月03日 『台湾見聞録』
http://blogs.yahoo.co.jp/kisousan/61397901.html
林田(現在の鳳林鎮大栄と北林村)に農業移民村が作られた。これは、日本の人口過密を解決するためであり、また、台湾を南洋進出のための試験地とするためであった。(中略)彼ら農民は日本で一切の家財道具を売り払い、この異郷の小島で漢人すら未踏の荒地に分け入って、新天地を作ろうという人々だった。
(中略)
1945年(昭和20年)、第二次世界大戦の終結で日本人は無条件降伏し、台湾は中華民国に返還される。台湾に骨を埋めると心に誓い、30年以上もこの地で汗水流してきた移民たちにとっては、まさに青天の霹靂であった。台湾に残りたいという願いもむなしく、翌1946年3月、現金1000円とわずかな衣類の所持だけを許され、彼らは帰国しなければならなかった。仕方なく、小作や作男として働いていた台湾人に土地や財産を廉価で売り渡した。日本に帰れば、再び一からやり直しの日々が待っていた。
当時の時代背景などは日本統治時代(台湾)*9によくまとめられていました。
*9:「日本統治時代(台湾)」 『Wikipedia』
http://ja.wikipedia.org/wiki/日本統治時代_(台湾)
要は、1900年代~1910年代頃に台湾移民が募集されてそれに参加したのだと思います。二瓶今朝五郎が軍人として行ったのか農民として行ったのかは不明ですが、何らかの土地の開墾に関わっておりその手記を残した*10と。
*10:「[花蓮港廳奉郷鳳林庄]豫約開墾成功地賣渡報告(二瓶今朝五郎)」 『數位典藏與數位學習國家型科技計畫』
http://catalog.digitalarchives.tw/item/00/10/a5/7b.html
台湾の文化や宗教も日本式に変えようとしていた時代なので多くの神社が建設され、その際に林田神社の氏子として寄付をし、石柵に名前が刻まれた*11ということのようです。
*11:「花蓮邀月旅行–林田神社」 『邀月小築民宿花蓮旅遊手扎』
http://tw.myblog.yahoo.com/moon886-idvtw/article?mid=10758&next=10215&l=f&fid=55
名前だけでここまで分かるなんてなんだかワクワクしますね。たまたま台湾の方(?)がブログで林田神社を紹介してくれていた事、二瓶今朝五郎という珍しい名前であったことなどの偶然が重なったのですが、色々と広がって面白かったです。
皆さんもご先祖様でググってみたら新しい発見があるかもしれませんよ。
執筆: この記事は山田孝之さんのブログ『Y氏は暇人』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2013年04月12日時点のものです。
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