第2回将棋電王戦 第3局 電王戦記(筆者:大崎善生)
2013年4月6日、私は将棋会館の四階、特別対局室に座っていた。上座にはプロ棋士代表の船江恒平五段が座り、その間の前には奨励会員の三浦初段、部屋の隅のほうにはプログラマーに一丸貴則さんが座っている。そして一丸さんから襖一枚を隔てた場所に今回の対戦相手であるプログラム、ツツカナが微かにファンの音を上げている。
ツツカナと聞いて私が真っ先に思い浮かんだのは不束(ふつつか)な、あるいは恙(つつが)なくという日本語だった。現場に居たレポーター役の安食女流が教えてくれた。ツツカナとは時計を動かす重要な部品であり筒かなと書くそうだ。ちなみに安食女流は板カナのノリだと思っていたと笑わせてくれた。
プログラマーの一丸さんは28歳。愛知県豊田市の在住で大学院を出て現在は無職だそうだ。非常にシャイでか細く高い声で話す。対局前にお話を伺ったが、不安ばかりが募りまったく自信がないということだった。体の線も細く頼りなげで、将棋の駒ではないがなんだか吹けば飛んでいきそうな感じだ。
将棋は4手目で早くもコンピュータが74歩という変化球を投げ、定跡形を回避した。この74歩という手は船江は研究会などで経験があるそうで、そんなに大きな驚きはなかったようだ。少考しての冷静な58玉にそれは現れている。
しかし不思議だなと思った。
これではまるでコンピュータが問題を出して人間が解答しているようではないか。
対局室にいる人間は六人。船江五段と相対する三浦初段、一丸さんと私。そして私の横に記録係の井道女流プロと貞升女流プロ。後は中継用のカメラが3台とコンピュータのモニターが2台。襖の外にツツカナの入ったコンピュータである。
対局室は静かだ。
船江は和服を身にまとい正座を崩さず、まるでタイトル戦を戦っている棋士のように威儀を正している。何かこの時点で人間側に妙な力が入っているように見えなくもないのは、きっと見ている私が人間だからで、コンピュータには一切関係のないことなのだろう。おそらく船江にとっては、相手が誰それというよりも自分自身のためのそして何より将棋そのものへ対する敬意なのだろうと思う。その姿は覇気に満ち清々しい。
局面はするすると進み第1図となっていた。
飛車先を無条件で切った先手に対して後手が85歩とした局面だ。ここで私の読みは当然のごとく22角成、同銀、55角。飛車と金銀の二枚換えが決まり完全に潰れているではないか。私は対局室で一人、内心色めき立っていた。しかし船江はなかなか指さない。どうした、コンピュータの見えない影に怯えているのか。横で見ている人生初観戦の私は思わず声を上げそうになった。結局9分の考慮の末、船江は28飛と引いた。
どうした、と私のノートにある。
後で立会人の堀口弘治七段に聞いたところ、22角成、同銀、55角には73銀と受ければ飛車取りが消えて同時に飛車の横利きが通ってぴったりの受けとなる。我ながら自分のアホさ加減に驚く。自分ならツツカナの罠に完全にはまっていた。初心者の方のためにこの変化は書いておこう。
1982年から2001年まで19年間に亘り将棋連盟で主に編集者として働いてきた私にとって、ここ特別対局室はまさに特別な場所であった。編集者時代は大山康晴15世名人と仕事の打ち合わせをするためよくここに呼び出された。紺色の背広に灰色のベストを着た名人はいつもこの部屋の上座にペタンという感じで座り、将棋盤なんかちらとも見ずに忙しげに手帳ばかりめくっていたものだった。今から30年近くも前のことである。
上座には大山名人。下座には様々な棋士。
それが今はコンピュータの代理人が座っている。
観戦をしながら私はそんなことを思いめぐらせていた。本当にどういうわけか大山名人には怒られてばかりだった。
そういえば最近、よく考えることがある。それは世紀の対決といわれた大山康晴―升田幸三戦のことだ。この妄想はボンクラーズが米長邦雄永世棋聖を下したことがきっかけとなった。史上最強のコンピュータ型の演算棋士はもしかしたら大山だったのではないかとある日突然に思い至ったのだ。あるいは大山ほど演算力の優れた棋士はいなかった。それがわかっているから新手一生を標榜した升田幸三は名人戦という大舞台で升田式石田流という難問をその場で提出する。並みの棋士であれば吹き飛ばされていたかもしれない新定跡に対して、史上最上級の演算能力を誇る大山コンピュータがフル稼働してその場で素晴らしい回答を次々と出していった。あの今でも記憶に残る二人の最後の名人戦とはそういうことだったのではないだろうか。
相手をくたくたに疲れさせる堅実無比の終盤力。深く読むことを嫌い、広く浅く読む姿勢。大山将棋とコンピュータの間には何かしら共通点らしきものを感じることが多い。将棋世界誌に連載されたコンピュータ開発の物語を読んでいても、思い浮かぶのは大山康晴と羽生善冶の顔ばかりであった。
昼過ぎに控室を覗く。多くの棋士の顔がある。見慣れた懐かしい顔ぶれがいくつもありホッとする。
昼過ぎの局面を見て棋士たちの誰もが人間側が優勢と言っている。角換わり模様の将棋で飛車先を無条件で交換できたのがなんといっても大きいという。先手が77銀と飛車先を防いだ局面では10人プロ棋士がいればほぼ10人が先手を持つだろうということだった。一方的に飛車先の歩を切って人間の理論でいえば作戦勝ちということになる。
しかしもしかしたら、これが長年に亘って定跡や手筋や常識というものを築き上げてきた人間の先入観ということもあり得るのかもしれない。実際に優秀なプログラムで検索すると、すべてのプログラムがコンピュータ有利と判定しているという。
これはプログラムの感覚的な部分がまだ開発途上だからなのだろうか。あるいは人間の先入観のなせるわざなのだろうか。
プロ棋士がこの将棋を指せば、この局面はひとつの理想郷でありみなこれを目指していく。しかしもしそれがコンピュータたちの判定の通り間違っているのだとすれば、、。それは空恐ろしいことである。
コンピュータの判定はどうであれ、局面は船江がリードしながら進んでいく。54歩と突いた手などは絶好で、堀口七段いわく、「私が後手ならば投了を考える」というほど人間の目には形勢が離れて見える。
控室の検討も熱を帯びている。どう考えても人間のほうが有利なはずだがしかしこれだという決め手の手順がなかなか見つからないという展開が続く。ツツカナの指し手はどうも少しずつ本筋をはずしているようなのだが、しかし壊滅的なほどではない。少し不利という距離を保ちながら決定的には離されないという戦いが続いている。
集まったプロたちの検討を見ていると、彼らがいかにコンピュータの能力をリスペクトしそれに怯えているかがわかる。とにかく一手のミスも見逃しも許されないということが彼らの表情から見て取れる。多少の有利感なんか関係ないのだ。1000のうちに1でもミスをすればたちまちコンピュータの待ち受けることとなり巣穴の中に引きずり込まれることは間違いない。最近は誰もが少なからずコンピュータと指す機会を持っているから、その怖さをもっとも知っているのもまたプロ棋士なのである。どんな些細なミスでもちょっとした隙を突いてコンピュータは戦ってくる。人間は一回のミスも許されないのだと、解説役の鈴木大介八段もそう私に強調した。
船江が快調に攻めているように見えた局面で、ツツカナの勝負手が出る。55香(第2図)と焦点に打ちつけた王手だ。何とも怪しげな勝負手で、なんとなく若き日の羽生善冶を髣髴とさせる。これ以降、船江は小考えを繰り返すようになるのだが、しかしツツカナにも66銀という疑問手が出て、局面はあっという間に先手の必勝形になってしまう。
第3図は78竜と成桂を取った局面。ここでコンピュータは54角成と粘りに出るのだが、どう見ても先手の駒得や陣形の差が大きく、人間同士の対局ならば諦めて形作りをしだしそうな局面となっている。船江を気の毒に思うのは、さすがにここまでくれば自分の優勢を確信しただろうし、それだけに朝から張り詰めていた緊張感が一瞬緩むのも致し方なかったかもしれない。将棋は直線ではなくいきなり大きな曲線を描き、まるで金得をしたまま新しい対局がはじまるような雰囲気になった。
船江は何度も自陣に目を配り「うんうん」と自分の有利を確かめるように大きく頷いている。しかしその姿をツツカナは見ているわけではない。今も姿をどこかに潜め、数兆桁の演算を繰り返しながら再び蘇る隙を窺っている。ただその思考の存在がわかるのは微かに回るファンの音だけである。
控室に戻ると棋士たちはなんとそれでも油断はしていなかった。人間なら諦めるところだけれど、コンピュータに諦めるという文字はない(たぶんまだ入力されていない)。「ここからゾンビのように蘇ってくるんだよな」の言葉に「それを言うならターミネーターでしょう」と軽口を交わしつつも油断はない。ここに至っても油断ができないとは、見ている私のほうが驚いてしまった。そして将棋は彼らが恐れていた方向へと進んでいく。しかもシュワルツネッガーはいない。
仕切りなおしのような2度目の終盤は船江が小さなミスを重ね、チャンスを何度も見送り、それをほぼノーミスでツツカナが対抗するという、人間とコンピュータのもっともそれらしい展開となっていった。人間は疲れ果て、コンピュータは冷酷に指し手を進める。最後は完全に読みきられ巣穴に引きずり込まれた感がある。レールに乗せられ、コンピュータばかりに好手が目立つ。それにしても玉を広げる32金、先手必死の勝負手45金に対する51香、決め手ともいえる42馬、どれもこれもが鮮やかで、なんという強さだろう。
「負けました」という船江の声が響き渡った。187手という激闘についに終止符が降りた。しかし当然のことながらコンピュータは沈黙を守ったままだ。嬉しくもまた悔しくもない。そこには膨大な演算の痕跡がただ残されているだけなのだろう。
私の質問に船江は「負けたのは残念。自分の弱いところが出てしまった。優勢な局面を勝ちきれず、ツツカナは強かった」と感情を見事に封じ込めてきぱきと答えてくれた。
続けて私は人間と指しているようだったかと聞いた。それかつてディープブルーに敗れたカズパロフがその膨大な演算の集積を前にまるで人間と戦っているような重圧を感じたと発言したからである。船江の解答は「序中盤は人間との戦いのようであり、終盤はコンピュータでした」というもので、その感覚ならばディープブルーを凌いでいるのではないだろうか。しかもツツカナは何台ものスーパーコンピュータをつないでいるわけはない。ハード面は32ギガバイトというそんなに珍しくはないパーソナルコンピュータなのである。
私が今回の対局でもっとも知りたかったこと。それはコンピュータが強かったとして、それをすぐ側で観戦していて果たして自分の心を動かすかどうかということであった。もし私がコンピュータの手に感動したとすればそれは演算の領域を超えているといえるのではないだろうか。そしてこの熱戦を通じて間違いなく心を動かされている自分がいることに、私は妙に清々しい気持ちになっていた。
1982年.今から31年前のこと。私は将棋連盟の道場課に勤めていた。当時道場に初めて将棋のコンピュータゲームが持ち込まれた。テレビゲームのようなスタイルのものでものめずらしくて私もよく対戦した。非常に弱く機嫌を損ねると10枚も20枚も飛車が出てくるバグがあって閉口した。ある日そのゲームで遊んでいるといつの間にか私の向こう側に背広を着た老人が立っていた。「やばい」と思ったがもう手遅れ。大山名人だった。仕事中にこんなことをしてるところを見られてはまた怒られると、とにかく顔を合わせるたびに怒られてばかりいた私は体を小さくした。大山はしばらく私のするゲームを眺めて「これあんたと機械が将棋してるの?」と聞いてきた。「はい」と私が答えるとしばらく大山はその場に立ち竦んで将棋を眺め「それにしてもどっちもたいしたことないね」と笑いながら出て行ってしまったのだった。
その大山がよく言っていた言葉がある。
「コンピュータに将棋なんか教えちゃいけないよ。ろくなことにならないから」
対局場を後にし大雨の中をふらつくようにたどりついた地元の居酒屋で、疲れ果てた私の頭には、30年以上前のその大山の言葉ばかりがいつまでもぐるぐると駆け巡っているのだった。
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・第2回将棋 電王戦 HUMAN VS COMPUTER – 公式サイト
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