驚異のリサイクル率80%超! ”ごみ革命”で悪臭の埋立処分場が激変 ―鹿児島県大崎町の挑戦
家族が家で過ごす時間が長くなり、家庭ごみの量は増える一方。なんとかならないものだろうか。鹿児島県曽於(そお)郡大崎町は、ごみの焼却施設を持たず、ごみのリサイクル率日本一の記録を更新しているという画期的な自治体だ。世界的に見てもゴミ分別の最先端をいく、「大崎リサイクルシステム」を取材し、ごみ問題を考えた。
焼却施設がない町で、埋立処分場がピンチに!
人口12,831人、世帯数6,720世帯、面積は100平方キロメートル。農業が主幹産業の美しい町、それが鹿児島の東南部に位置する大崎町だ。日本有数のシラスウナギ漁の産地で、うなぎやマンゴー、パッションフルーツの生産が盛ん。市町村別のふるさと納税で日本一に輝いた実績もある。そんな「凄いけど大人しいまち」を自負する大崎町だが、何よりすごいのが、ごみのリサイクル率が83.1%! このリサイクル率は2006年以降12年連続日本一で、2020年度も見事13回目の日本一に輝いた(2021年3月31日環境省発表)。
7kmに及び美しい松林が続く大崎海岸。潮干狩りができ、競走馬の調教も行われている(写真提供/大崎町役場)
大崎海岸は、産卵のためウミガメが上陸することでも知られる(写真提供/大崎町役場)
「大崎リサイクルシステムの始まりは、焼却施設がなかったことでした」と話してくれたのは、大崎町役場職員の松元昭二さんだ。大崎町のリサイクル事業を前任者から引き継ぎ、牽引している。
「それまでごみは全て、大崎町と志布志(しぶし)市で管理している埋立処分場へ集まっていました。日本の他の地域では焼却場が増えていった時期ですが、大崎町では燃やせるごみの概念がないため、家庭で排出されたごみの全てが混載で、埋立処分場に運び込まれていたんです」
平成2年から29年までの、大崎町と志布志市のごみの埋立処分量(画像提供/大崎町役場)
高度経済成長期を経て、日本の廃棄物は増大の一途を辿る。1995年に政府により容器包装リサイクル法が制定され、1997年に一部施行。2000年に完全施行となった。
このタイミングで、多くの自治体は国の補助金を受け、焼却場を建設した。
「当時、1990年から2004年まで使用する計画だった大崎町と志布志市の埋立処分場は、急ピッチで埋まりつつありました。分別が始まった1998年の数年前から、『このままでは計画期間内までもたない』という状況に。これを打開するため、大崎町では3つの選択肢の中から方法を選ぶことになりました」
計450回の説明会で住民と危機感を共有
3つの選択肢とは、1.焼却炉の建設、2.新たな埋立処分場の建設、3.既存の埋立処分場の延命化だった。
「焼却場の建設には、建設費と維持費がかかります。大崎町と志布志市(合併以前)の人口から見ると、建設コストは30億~40億円。それが国からの補助でなんとかまかなえたとしても、大崎町の維持管理費が約1億5000万円ほどかかる計算になります。これは、それまでのごみ処理にかかっていた金額の1.5倍でした。それに、焼却炉は建設したら30年は使い続けなければなりません。次世代への負担を考えると、この選択肢は諦めることになりました」
新たな埋立処分場の建設には、住民が反対。
「当時は生ごみからプラスチックまで全てのごみが、黒いビニール袋に入れられて埋立処分場へ集まっていたわけですから、ニオイがすごかった。ガスが発生していたので、その場へ行くと服にニオイがついてしまい、しばらく食欲がわかないほど。空はカラスの大群で黒く、一度車を降りたら、次はハエが数匹は一緒に乗り込むという状況でしたから」
3つの選択肢の中から、必然的に「既存の埋立処分場の延命化」が選ばれた。具体的には、住民総出のリサイクルで、ごみを大幅に減量するしかない。
分別スタート時の、大崎町役場の担当者による説明会の様子。現在も年に1度、150の地域のリーダーへの研修会を行っている(写真提供/大崎町役場)
分別スタートにあたり、最も重要な役割を担う地域のリーダーからなる「大崎町衛生自治会」を設置した。それから当時の大崎町役場の担当者たちは、大崎町衛生自治会と協議しながらリサイクルのシステムを整備し、分別品目を定め、収集したゴミの出口となる最終処分先を確保していった。
「大崎リサイクルシステムは、住民主導。住民の皆さんと、説明や指導する行政、ごみを回収する企業の三者による協働と連携、信頼によって成り立ちます。住民の皆さんが分けてくれないと始まりません」と松元さん。
「大崎町衛生自治会は、地域の有識者に理解をいただき、以前から地域活動などで信頼を集めていた方々の賛同を得て組織しました」という。小学校区ごとに数名ずつ理事を決め、合計15名をメンバーとして、それぞれの地域の住民と連携をとってもらった。
「埋立場が、せめて計画当初の2004年までもつように」と、まずは3品目のごみの分別がスタート。その後1998年から2年ほどの準備期間を経て、2000年には、分別品目は16品目に。
準備期間には、役場担当課で大崎町内約150の集落を回り、1カ所につき3回ずつ、計450回もの説明会を行った。
「焼却場の維持管理費なども皆さんと情報共有しました。行政だけの課題でなく住民の課題として、危機感を持ってもらったのです」
当然ながらさまざまな意見が噴出したが、住民が納得して協力しないことには、16品目ものごみの分別は成り立たない。話し合いを重ね、ようやく住民主導の「大崎リサイクルシステム」がスタートした。
大崎町と志布志市の埋立処分場。分別開始前の1998年には、計画期間内の2004年までもたない状況に。ニオイなども酷かったという(写真提供/大崎町役場)
27品目を、住民が家庭内とごみ収集場で分別
大崎町のごみ分別品目はさらに細かくなり、現在では27品目に。ビンであれば「生きビン(リターナブルビン)」「茶色ビン」「無色透明ビン」「その他のビン」で4品目。紙類は8品目、蛍光灯類で1品目、陶器類で1品目などといった具合だ。
ホームページ内で調べられる「大崎町の分別ルール」(画像提供/大崎町役場)
大崎町のホームページ内「大崎町の分別ルール」を見ると、27品目1190種類のモノについて、例えば「ボールペンは何ごみになるか」といった分類と、資源として出すための洗い方などが、日本語、英語、ベトナム語で詳しく書かれている。
かつては黒くて中身が見えなかったごみ袋は、半透明で赤が「資源ごみ」、青が「一般ごみ」の2種類となり、さらにそれぞれには各家庭の名前を書く必要がある。
「記名式にしたのは16品目にして間もない時期です。すると分別の精度がグンと上がりました。自分で出したごみに自分で責任を持つ。ごみの出し方を間違えたら、その人が持ち帰り再度分別をし直すという“排出者責任”の考え方です」
大崎町の家庭でのごみの分別の様子。赤の袋が資源ごみ(写真提供/大崎町役場)
写真はある家庭で、紙以外のごみを仕分けている分別の様子。「一般ごみ」である青の袋は使用済みティッシュや肌着、ガラスの破片など、リサイクルできずに埋立処分場へ持ち込まれるもので、「これをできるだけ減らすために分別しています」と松元さん。
生ごみの回収は週3回、一般ごみの回収は週1回、資源ごみの回収は月1回だ。
住民は衛生自治会に入会し、各収集場に一世帯500円で登録。収集場では管理者の指示に従い、共同で分別を行う。
月に1度、ステーションでの資源ごみ回収の様子。青いカゴに住民が自ら仕分ける(写真提供/大崎町役場)
上は月に1度の資源ごみ回収の様子。一時保管した使用済みの乾電池や割り箸、蛍光灯など、微量な資源ごみは、各自がこの日に持っていき、青いカゴに仕分ける。奥に見えるのは資源ごみの赤い袋だ。
また、生ごみは生ごみ回収容器へ。この後、家庭から出る草木剪定くずと混ぜて、約5カ月かけて堆肥をつくり、一般家庭向けに販売している。
生ごみは十分に水切りを行い、ビニール類の異物混入がないか確認した後、収集場の生ごみ回収容器へ(写真提供/大崎町役場)
「分別開始当初は、職員が研修を受けてから各自治会に割り当てられ、分別指導を行いました。それでも、想定していないものが捨てられることがあります」といい、分類が分からないものは職員が持ち帰り、担当課に行って調べてから、「これは何ごみになります」と返答。「それらを繰り返して、今の27品目になりました」とのことだ。
こうして回収された資源ごみは、町内に誕生した民間企業の「有限会社そおリサイクルセンター」で仕分け、検査され、「商品」としてリサイクル事業者へ出荷される。
「大崎町の資源ごみは常にAAA評価。住民の皆さんが各家庭で汚れを洗い、乾かし、素材を間違えずに分別できているからです。評価が高いと有価物はより高く売れ、処理費のかかるものは費用が安くなります」とのこと。
ほかにも「菜の花エコプロジェクト」の一環として、家庭で使用後の食用油を回収。これらは不純物を取り除いて生成され、「そおリサイクルセンター」でゴミ収集車のリサイクル燃料などに生まれ変わらせている。これらの売買益金も町の歳入となる仕組みだ。
ごみのリサイクル率83.1%のまちは、すごかった。
「そおリサイクルセンター」の誕生で、住民の雇用も生まれた(写真提供/大崎町役場)
さまざまな思いで住民が協力し、大きなメリットを生んだ
想像するだけで手間が掛かると分かる「大崎リサイクルシステム」。住民の反応を尋ねると、「メディアのインタビューでも『最初は大変でしたが、今では慣れてそうでもないですよ』という声が返ってきます」と松元さん。
住民と行政の頑張りなしでは成り立たないが、得られるものも大きい。
「メリットの1つ目は、当初の目的である埋立処分場の延命化です。始める前の1998年と2018年の比較では、埋立ごみは85%減っていて、当初は2004年まで使用の計画でしたが、現状まだ使っている状況です。あと35年から45年は大丈夫という状態になりました。また、埋立処分場に有機物が捨てられることがなくなったため、かつてのようなニオイはなく、視察に来た人をご案内できるようになりました。
大幅なごみの削減により、当初の目的であった埋立処分場の延命化を達成(画像提供/大崎町役場)
2つ目は、1人当たりにかかる焼却や埋立て、リサイクルといったごみ処理事業経費の大幅な削減です。2018年度のごみのリサイクル率の全国平均は19.9%ですが、大崎町では83.1%。国民1人当たりのごみ処理事業経費が年間1万6400円であるのに対して、大崎町では1万500円です(一般廃棄物処理実態調査結果/環境省)。すると、大崎町では年間約7700万円を節約できていることになり、その分を財源として、教育や福祉など他の分野に使えているともいえます。これは焼却場を持たないことと、住民の皆さんの分別によって、行政コストが下がったという結果です。
大崎リサイクルシステムによる、1人当たりのごみ処理経費の削減率(画像提供/大崎町役場)
3つ目は、大崎町にそおリサイクルセンターという企業が生まれたことで、約40人の雇用が生まれたことです。ここで働く人たちは地元から採用しています。
4つ目は、分別で資源を商品にしたことで、2000年から今までで、1億4000万円もの益金が発生したことです。これを町の子どもたちのための基金として積み上げ、『大崎町リサイクル未来創生奨学金制度』をつくりました。大崎町には大学がないので、進学する子は外に出て一人暮らしをすることになります。そこで奨学金を借りた子たちが、卒業後、大崎町に帰ってきて居住したら、奨学金の返済と同額のお金を支援するというプロジェクトで、大崎町と鹿児島相互信用金庫、慶應義塾大学SFC研究所の連携により生まれました。これにより、優秀な子どもたちが大崎町に戻り、故郷の活性化を担う“人財の循環”ということができれば、大きなメリットとなります」
子どもたちも「大崎リサイクルシステム」に取り組む。写真は大崎小学校の全校生徒が校区のごみを拾い、学校に持ち帰ってごみの分別や洗浄を行った「大崎ピカレンジャー大作戦」の様子(写真提供/大崎町役場)
世界標準で、人材も資源も循環型の社会へ
鹿児島大学とインドネシア大学の学術交流の際、大崎町が紹介されたことをきっかけに、2012年度から大崎町では、インドネシア・デポック市のごみ問題にも取り組んでいる。
「インドネシアは世界的に見ても海洋プラスチックごみが多い国です。また、焼却炉がなく、埋立処分場のひっ迫という点で大崎町と似ていました。そこで、インドネシア・デポック市の要請を受けて、廃棄物の減量化と環境教育を支援しました」
支援はJICA(国際協力機構)の「草の根技術協力事業」として3 年間行われ、デポック市の生ごみの堆肥化施設を指導。分別収集やごみの資源化によって埋立処分場の減量化に貢献した。このデポック市の支援が評価され、現在はバリ州でも同様の支援を進めており、ジャカルタ特別州では「ジャカルタリサイクルセンター」の設置を目指している。
「焼却場がなく埋立処分場がひっ迫している、アジアの国の大半は同じ問題を抱えています。住民が協力してくれれば、それらの国でも大崎リサイクルシステムは実現できます」
「今、大崎リサイクルシステムはフェーズ2(第2段階)に入りました」と松元さんは言う。
2018年12月には「第2回ジャパンSDGsアワード」内閣官房長官賞を受賞。2019年には「SDGs未来都市」と「自治体SDGsモデル事業」にも選定された。
「第2回ジャパンSDGsアワード」でSDGs副本部長(内閣官房長官賞)を受賞し、東靖弘町長が授賞式に出席(写真提供/大崎町役場)
2020年には「リサイクルの町から、世界の未来を作る町ヘ」を合言葉に、「大崎町SDGs推進協議会」の設立を発表。大崎リサイクルシステムを事業化して、企業や団体、学校、研究機関とも連携し、世界に発信している。
プラスチックごみの増加など地球規模の問題に対しては、大手メーカーと一緒に、ごみを出さない商品づくりに取り組んでいく。日本政府にも、「途上国に焼却炉を販売する際は、大崎リサイクルシステムとのパッケージ化を」と提言しているという。
また、大崎町で埋立てられているごみの約1/3を占める紙オムツに関しては、大崎町と志布志市、ユニ・チャーム株式会社、有限会社そおリサイクルセンターで協力して、再生オムツをつくるプロジェクトの実証実験をしているところだ。
「今、『世界標準。大崎町』というキャッチフレーズを使っています」と話す、松元さんの表情は明るかった。
「いつか大崎町に、世界中から人々がリサイクルを学びに来れば、街全体が国際大学のようになるかもしれません。留学生たちが大崎町を行き交い、人々が国際交流をする。それを見て子どもたちの国際感覚が磨かれ、海外で活躍するようになる。そしていずれは地元に帰ってきて、大崎町をよりよくしてくれる…。人も町も、循環する町。大崎町はサーキュラーヴィレッジ構想を実践します」とのことだ。
大崎町のサーキュラーヴィレッジ構想(画像提供/大崎町役場)
今すぐ、ごみ袋に名前を書いて出せるか?と問われたら、正直ドキッとしてしまう。分別品目が多ければ、手間はもちろん、家の中にごみ袋やごみ箱の数も増えるだろうし……。自分ごとに置き換えて考えるほど、住民主導の「大崎リサイクルシステム」には胸を打たれる。
小さな町だからできたのでは?と思われるかもしれないが、京都市でも、ごみの減量化により5基あった焼却処分場を3基に減らしているとのこと。「大都市の京都でできることなら、どの地域でもできるはず」と松元さんは力を込めた。
ごみの出し方、リサイクルや買い物への日常的な意識など、一人ひとりにできることがまだまだあるはず。可能性を感じ、思いを新たにした。
●取材協力
大崎町役場
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