世にも美しい犯罪小説『父を撃った12の銃弾』

世にも美しい犯罪小説『父を撃った12の銃弾』

 世にも美しい犯罪小説である。

 ハンナ・ティンティ『父を撃った12の銃弾』(文藝春秋)のことを書こうと思いながら、時機を逸してしまった。あまりに美しく、すべてを紹介したいという衝動を抑えきれずにいたからだ。繰り返して二度読んで、ようやく少し冷静に語れるようになった気がする。こんなことは珍しい。

 各種年末ランキングやみんなのつぶやき文学賞翻訳部門などで首位を独占した2020年度の話題作がディーリア・オーエンズ『ザリガニの鳴くところ』(早川書房)だった。読んだ人が自分の心にいつまでも残しておければいいと願うような作品だったのだから納得の結果だ。同じことが『父を撃った12の銃弾』にも起きるのではないかという気がする。これは、書棚のいいところに置いておきたくなる本だ。ときおり振り向いて、そこに間違いなく『父を撃った12の銃弾』と書かれた本の背があることを確認するために。

 あらすじ、というか物語の構造について触れる前に、いくつか文章を引用したい。本書の主人公ルー・ホーリーは十二歳で父親サミュエルから銃の撃ち方を教わった少女だ。本当の名前はルイーズだが、話がずっと進んだところで出てくる理由のためにルーと呼ばれることを好んでいる。ルーは父親をサミュエルではなく姓のホーリーで呼ぶ。だからこの原稿でもルーとホーリーで通すことにする。

 ルーの母親はこの世の人ではない。二人は転々と住処を替えて暮らしているのだが、そのときにホーリーがする儀式のような行為がある。亡き妻のリリーがそこにいるかの如く見えるようにする、ある行為だ。読んで確認してもらいたいので詳細は書かない。ローティーンでルーはこの暮らしにすっかり慣れたが、ついにひとところに落ち着いて暮らすときがやってくる。そうとは書かれていないが、学校に行って友達を作る普通の暮らしをさせようとホーリーが考えたからだろう。その町オリンパスの、海辺に二人がやってきた場面だ。

――「見ててごらん」父親が言うと、屈みこんでから跳び上がり、ひざを高く持ち上げた。百九十センチを超える体が浮かんで一瞬宙に止まり、そして両足が大きな、派手な音をたてて砂を打った。すると周りじゅうで砂に埋もれていた貝がぴゅっと水を噴き出し、秘密の噴水のように空中にまっすぐ飛びかった。その瞬間ルーは、自分たちはここにずっといるんだ、この場所はほかのどこともちがってるんだと思った。この早い朝、浜辺全体がにわかに命を持って息づき、そして父はわが子にこの世界で最高のものを見せてやれたというように、満面の笑みを浮かべていた。

 ここを読んで私は心を持っていかれた。こうした印象に残る場面が各章にある。現在と過去の章が交互に置かれた構成になっていて、前者には「ホーリー」「グリーシーポール」といった題名がつけられている。グリーシーポールとはオリンパスの町で行われている祭事で、空中に突き出した棹に油が塗られていて、その上を男たちが渡って先端の旗を取ってくるというものなのだそうだ。訳者あとがきによれば、この場面から作者は物語の着想を得たのだという。油まみれの棹の上に立ったホーリーは、読者にその全身を曝け出す。十二ヶ所もの弾痕が刻まれた体を。

 過去の章には現在とは違って「銃弾#1」という形式で統一されている。お察しのとおり、それぞれの弾痕がどのようなときにつけられたか、というエピソードが語られていくのである。現在パートのルーとホーリーの物語には謎の部分が多い。そもそもなぜ彼らは転々として暮らしてきたのか。ホーリーが娘に語ろうとしない妻リリーとはどのような女性だったのか。そして湖で溺れ死んだとされる最期の真相とは。あることからルーはリリーの死にざまについて情報を得て、父親が自分に何かを伏せているのではないかと考えるようになる。ミステリーとして見た場合、本書最大の謎はそれだ。ルーとホーリーは絆で結ばれた間柄だが、母の死という秘密が唯一の留保条件になっている。それをルーが知るまでが主たるストーリーラインとなっている。ゆえに、不在の母リリーはルーとホーリーに次ぐ重要な第三の主人公なのである。

「銃弾」の章はそうした謎を解くためのピースであるが、同時にそれぞれが極めて密度の高い犯罪小説短篇にもなっている。ここが『父を撃った12の銃弾』最大の特徴だ。過去パート十、現在パート十二、それ自体が短編として独立しても読める二十二の章で全体は構成されているのである。現在パートは後述するように十代のルーが父の庇護から離れて世界と向き合い、新たな自分になっていく教養小説の形式をとっている。その物語が十二の断章で描かれるのである。章名が「ホーリー」で始まって「ルー」で終わることの意味はおわかりだろう。こちらは瑞々しい青春小説。そして過去パートは、取り立て屋のようなことをしているホーリーがその仕事のためにさまざまな危難に遭うという任務遂行型の犯罪小説だ。

 任務を受けたホーリーはあちこちに旅をする。行先の自然が美しい遠景として置かれるが、その前景では鮮血とコルダイト火薬の臭いが充満した物騒な暴力場面が描かれる。この対比の見事さである。安藤広重の保永堂版「東海道五十三次」を背景にして殺し合いの活劇が描かれるようなもの。おっと、それは「新必殺からくり人」だ。

 読者はそれぞれに好きな「#銃弾」の章ができるに違いない。人気を呼びそうなのがプレーリードッグが群棲する草原が舞台になる「銃弾#10」だ。内容は一切書かないで、結びの文章だけ引用する。

――平原の上を突進し、光の筋となってプレーリードッグの町を抜け、さらに走りつづけてホーリーの昔の地所を取り巻く鉄条網のフェンスに衝突した。炎がガス田の端を明々と照らし出し、電気がショートして青い火花が散るのが見え、やがて投光ランプがいっせいに消えた。あたり一帯が暗くなり、ただ燃えるトレーラーだけが、檻にぶつかる怪物のように吠え猛っていた。

 こうやって紹介していくときりがない。小説中にいくつものモチーフが持ち込まれ、それぞれの意味が絡み合ってルーとホーリーの物語の構成要素となっている。たとえばホーリーは父親が漁師だったにもかかわらず泳ぎを教えてもらわなかったのだが、それは「船が転覆したとき、すぐに溺れられるから」だった。しかしあることが起きて彼は「父親はそうすることで、ホーリーをだめにしていたのだ」と気づき「自分は子どもをだめにする父親にはなりたくない」と考える。どうするか。生まれたばかりの赤ん坊のルーとともに、リリーに泳ぎを習うのである。ルーはルーで、ことがあるごとに星座が彼女の前に出てくる。きっかけは、ある男の子と恋をした際に星空が重要な意味を持ったことだった。この関係ないように見える二つの要素が最後の「ルー」で結合する。小説の豊かな自然描写がその他さまざまなモチーフを呑み込み、一枚の画布に再配置して壮大な結末を作り上げるのだ。一度読んだら忘れられなくなる小説には、こうした記銘力のある場面が不可欠である。

 青春小説としては、自分を制御しきれない主人公の物語である。ルーは「自分には何か欠けたところがあって」「自分が歩くたびにその空っぽの穴が音をたてる」と考えている。世界と彼女の間には絶えずいらいらさせられるような障害物がある。「誰かをぶちのめしたいと感じたとき、決まってルーの口いっぱいに広がる味があ」り、その衝動を抑えきれずに時折爆発してしまう。後にルーが恋をすることになる相手のマーシャルも、彼女にちょっかいをかけて親指をへし折られたことがある少年なのである。そういう魂の持ち主が、自分をあえてさらけだそうとしない父親に向き合い、彼の真意を知り、それを乗り越えていく小説だ。

 ひさしぶりなのにまたしても長くなってしまった。最後に当たり前すぎて言うのが遅れたことを書いて終わりにしようと思う。『父親を撃った12の銃弾』は親子の小説である。オリンパスの町で他の大人の男たちを見たルーは、改めてホーリーが彼らとまったく違うことを知る。そして言うのである。

「父さんは誰のところでも働いてないじゃない。本物の仕事なんかしてない」

 それに対するホーリーの答えはこうだ。

「おまえだ。おまえがおれの仕事だ」

 おお、なんてかっこいいバカボンのパパなのだ。

(杉江松恋)

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