女たちの喪失と希望の物語〜ジュリア・フィリップス『消失の惑星』
幼い姉妹が八月の午後を過ごしている海辺の描写に、まずやられる。どちらかというと風景の描き方といったものに注意を払わない無粋な人間がそういう部分に目を留めるとき、その小説は傑作だと思って間違いない。母から妹の面倒をみるようにとの指示に倦んでいる姉と、年齢のわりには無邪気な妹。そして、足を怪我したと語る男。読者の胸にゆっくりと不穏さが忍び込んでくる。「行ってはだめだ、行くな」という我々の焦りは、彼女たちに届かない。
「八月」の章が終わり「九月」になると、一転して物語は別の重苦しさを帯びる。13歳のオーリャは、親友(であるはずの)ディアナとの距離に苦しんでいる。同い年の少女たち、そしてその母親同士の間にも溝は横たわる。その後も「十月」「十一月」…と、季節は移り変わっていく。美しいカムチャツカの地での一年間が、それぞれ違う女性によって語られる。自分を束縛する故郷の恋人と大学で新たに知り合った先輩学生との間で揺れる女子大生、妹が行方不明になった過去を持ち実家の家族や長期不在の夫に対する不満を抱える二児の母…。
彼女たちを(そして彼女たちと関わりを持つ男性たちを)結びつけるのは、いなくなった姉妹だ。不在であることによって、逆説的にその存在を人々に意識させる少女たち。カムチャツカの自然は美しい。しかし、そこに住む人々の心はどうか。偏見、さまざまな差別、自分より弱い者への暴力、ロシア人と先住民族を隔てる壁…。「十一月」の語り手であるディアナの母親は、先住民族や外国人などに対する偏見を、恥ずべきこととも改めるべきこととも感じていないようだ。それによって、オーリャを何の躊躇もなく傷つけるほどに。
人生はつらく、厳しい。「ほかの者たちが生きられなかったときに、彼女は生きた。そこに喜びがないのだとしても」と、愛する人を失った「二月」の語り手のレヴミーラが思い返すように。「自分が何より大切にしていたものが消えているのを知る。それに耐えられないのなら。その手で破壊してしまいなさい。目撃者になりなさい。自分の人生が崩壊していく、その瞬間の」と、我が子同様の存在が消えてしまった「五月」の語り手のオクサナが後悔するように。
しかし、人生には希望もある。例えばオーリャは、ディアナのみならずその母親からもいやな思いをさせられた。けれども、ひとりきりで抱える秘密は時に人を強くする。オーリャの胸にいつまでも残るに違いない海と光は、彼女を支え続けたことだろう。たとえ孤独の中にあっても美しい風景を心のよりどころにできる者は、誰によっても完全に損なわれることはない。人間はそうして、耐え難く思われる日々もなんとかやり過ごしながら生きていく。
物語が進むにつれて少しずつ登場人物たちのつながりが明らかになっていき、再び動きをみせた事態は圧巻のラストに至る。上質なミステリー小説のような読み心地も素晴らしい。デビュー作にして全米図書賞最終候補作を書き上げたジュリア・フィリップスという新人作家、記憶しておくべき名前だ。
(松井ゆかり)
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