仕事への価値観をビシビシ問う連作短編集~額賀澪『転職の魔王様』
私(1967年生まれ)くらいの年代だと、転職にあまり明るいイメージがない人も多いだろう。長男の友だちが大手企業を退職したと聞いたとき、「え~、もったいないね」と言った私に、長男は「いや、そうは言っても自分に合わない会社に勤め続けるよりいいでしょ」と返してきた。その発言に対して、私は「それはそうだけど、もったいないことはもったいないよな」と心の中でつぶやいたのだった。
本書は転職活動を支援する人材派遣会社、いわゆる転職エージェントが舞台の連作短編集である。主人公の未谷千晴は新卒で業界最大手の広告代理店に入社したものの、上司からのパワハラによって心身のバランスを崩して退職を余儀なくされた26歳女子。3か月たってやっと次の職場を探す気になるところまで復調した千晴は、叔母・洋子が社長として働く転職エージェントのシェパード・キャリアに登録する。千晴を担当することになったキャリアアドバイザーは、洋子が自らスカウトした元商社マンの来栖嵐(通称:魔王様)だった。
転職エージェントやキャリアアドバイザーについて私が何を知っているわけでもないのだが、一読して来栖はモノが違うと思わせるレベルの人材である。まず、愛想がない。いまどきは自動車教習所にすらソフトな物腰の教官しかいないらしいのに、対人の仕事でこんなに手厳しいことばかり言う人っているのだろうか。もし私が転職希望者だったらよくて涙目、悪けりゃ号泣だ。かと思えば、担当求職者の採用率はほぼ100%という有能さもあわせ持っており、「最初は殺してやろうと思ったけど、無事転職できたから見逃す」とよく言われるとのこと。
初めは「私を必要としてくれるところで働きたい」「高望みはしない、どんな業界でもどんな会社でもいいから働きたい」と答えていた千晴。しかし、来栖は「必要とされる場所で働きたいんですか? そうやって、自分の価値観を他人の価値観に委ねるから、ブラック企業でこき使われて壊れたら捨てられるんですよ。自分の価値くらい自分で測ったらどうです?」「今の貴方はどこに行ったって、遅かれ早かれ前と同じ目に遭います。誰かから必要とされれば未谷さんは家畜のように従順に働き、その人が与えてくれる価値観を丸呑みにして壊れるまで働きます」と辛辣な意見を口にする。しかし、非情とも受け取れる来栖の言葉の裏に潜む「その人が全力で考え抜いた最善の選択をしてほしい」という思いは、千晴や担当求職者たちの心に伝わっていく。来栖に言わせれば、変わったのは彼ら自身であり、自分はあくまでもサポートしただけと嘯くのだろうが。
ほんとうに自分が仕事に求めるものは何かを探すことに決めた千晴、そして登場人物たちの進路もいろいろだ。一社目で内定が出た者、なかなか採用に至らず苦労している者、結局転職を思いとどまった者…。しかし、本人が納得して取り組んでいるのであれば、転職にまつわるつらい経験も本人の糧になり得るだろう。いや、糧にしていこうというくらいの気概が必要であるのに違いない。来栖からのプレッシャーをはねのけた彼らであれば、どんな職場でもやっていけそうではあるとも思う。
仕事がとても大切なものであるということは誰もが知るところだが、何を優先するかは人それぞれだ。自分のやりたいことを仕事にしたい人、自分の将来設計を優先したい人、収入が多ければ多少のことには目をつぶれる人…などなど。息子の友だちの話を聞いたとき、私は親としての立場から考えて「なんだかんだで大企業なら安心感があるし」という気持ちがあったと思う。いまだって必ずしも不正解だとは思わないのだが、そこに魅力が感じられなければその人にとって仕事は苦痛でしかないのだと、本書を読んでよくわかった。現在就職活動や転職活動のまっただ中にいる人はもちろん、すべての人に読んでいただきたい一冊である。
それにしても、来栖さんてこんなかっこいいのか…と、おかざき真里さんのイラストを見てうっとり(現実に存在したら勘弁だけど、本で読む分にはドSイケメン最高)。
(松井ゆかり)
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