埋もれていた傑作を含む、新編集の眉村卓ショートショート集。
眉村卓『静かな終末』(竹書房文庫)
眉村卓のショートショート集。単行本未収録、あるいは文庫本に一度も収められたことのない作品を中心に、50篇が選ばれている。作家活動初期(デビューは1961年)のものばかりで、もっとも新しい作品でも1970年発表作だ。
この作家の重要な作品はすべて既刊の作品集に収録ずみで、本書は落ち穂拾いのようなものだろう……と思っていたが、「傾斜の中で」(筒井康隆編集の同人誌〈NULL〉5号初出)を読んで腰を抜かした。傑作である。
主人公の啓介は社員二十人の不動産会社に雇われ、鉛製の耐原爆住宅を設計している。計画性のある事業ではなく、社長の道楽のようなもので、啓介も臨時雇いの身分だ。家で待つ妻は、けなげに内職して家計を補っている。ただ、すりへっていくだけの毎日。
(略)勤務時間ちゅう社長以外の誰とも会う事はない。電話ひとつない部屋に、傾きかけた太陽が姿を見せると、もうそこは地獄だ。夜は宿直室になる、みじめな退屈な城の囚人として、啓介は図面を引いている。ときどき社長がやって来ては、必要な資材を訊ねるほか、何の変化もおこらないのだ。
(略)こんな風に昨日も一昨日(おととい)もいや、ずっと昔から、鈍い西日が黄色の壁に貼りつき、二つの机に跳ねかえっていたのではないだろうか。
陰鬱なプロレタリア文学だが、日常的な脅威として核戦争がのしかかっていること、啓介が妻を心配させぬようにつく嘘(妻は気づいている)の辻褄が狂っていくこと……そうした軋みや歪みが積み重なり、作品全体に異様な幻想性が充満する。これが現代SFならば北野勇作や酉島伝法が扱いそうな不条理感覚だ。
同じく〈NULL〉が初出の「静かな終末」も、日常的光景のなかに破滅戦争の不安が析出する。こちらはアイデア・ストーリー的な展開で、リチャード・マティスンやフィリップ・K・ディックを彷彿とさせる。
こちらも〈NULL〉掲載作。「錆(さ)びた温室」では、地球から離れた辺境で発生した奇妙な現象(作中では”あれ”と呼ばれる)の物語だ。住民が共同体を維持する意欲を失い、植民惑星がひとつ、またひとつと放棄されていく。この作品の妙は植民惑星に残留した六人の視点から描いていることで、彼らは人類拠点の最低限の機能を保つべく努力しながら、自分たちもやがて”あれ”に罹るのではないかと不安を抱える。サスペンスのシチュエーション、文明論的発想、組織と個人の相克と、この作家の特色がつまった一篇。
そのほか、テレビによる意識操作をニューロティックに描く「いやな話」、奇妙な味の幽霊譚「行かないでくれ」、竹中平蔵が主導する新自由主義の地獄を予見したような「ムダを消せ!」、科学技術が発達した戦争で呪術的な戦術が用いられる「怨霊地帯」などが、とくに印象に残った。
(牧眞司)
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