心を揺らして線をひくのです

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写真のトレースも自分自身を表現する1枚を描くための通過点としてあるのは悪くない気がします。今回は安倍吉俊さんのブログ『ABlog』からご寄稿いただきました。

心を揺らして線をひくのです
『pixiv』(http://www.pixiv.net/)という絵描きのSNSで、絵の中に出てくる小物を描くのに、写真をそのままトレースしていた人が、トレースが発覚して激しく糾弾されていた。その写真が、ネットに置いてあった他人が撮った写真で、著作権侵害の可能性がある、というのも叩(たた)かれた理由としてはあるのだけど、それ以上に『トレースはずるい。真面目に形をとって絵を描いている人をバカにしているように感じる』という論調が目立ったように思う。

その気持ちは何となく分かる。絵が好きな人、特に自分でも絵を描く人は、描き手の筆運びからその人の人格やものの考え方を推し量ろうとする傾向が強い。写真をトレースして描かれた端正な描線は、それが写真のトレースではなく描き手が選び出した線だと信じてみれば、絵の背後に、非常に高い客観性を持った調和のとれた描き手の人格が浮かぶ。その、写真から切り取られたような品よく整った描写が、文字通り写真の引き写しだと知った時、多くの人が、自分の中につくりあげた幻想を壊された、あるいは裏切られたような気持ちになったのだろう。

その後、『pixiv』の運営側がトレースの是非について『Twitter』(http://twitter.com/)で『トレースの中にも表現の一手段と考えられる可能性もあるのではないか』というような意見をつぶやいた時、ちょっと感情的になりすぎていないか、と心配になるような強い反感を表明する人が多くいたようだが、そういった人達は、上記のような裏切られた気持ちを感じていたのかな、と思う。まあ、『Twitter』のような短文しか書けないメディアで議論になったら互いに本意を伝えられないまま不毛な結末になるのは必至だったとも思うが。

“写真のトレースは是か非か”という問いに対しては、“是もあるし非もある”という答え以外ありません。ここまでのトレースは表現の一手段、ここから先は盗作、というような線引きを言語で規定することは絶対にできないし、また、表現を志す者ならばするべきではないです。表現の核にあるものは絶対に言語によって意味を一点に絞ることはできないし、言葉にできないから我々は絵を描くのです。個々の作品一つ一つについて、『これは許されるのではないか』『これはアウトではないか』という議論はできます。でもその答すら、時代や文化によって刻々と変わります。固定された解は存在しないという事です。それが表現というものです。これは全くの僕の想像ですが、『pixiv』の運営側は、その事が分かっていて、言葉による線引きを避けて、グレーゾーンを残そうとしていたのではないかと思う。『Twitter』のような場では、それが歯切れの悪さに見えてしまったのではないだろうか。

トレースを怒っている人達へ。
絵の道は険しい山道で、多くの人はそれでも歯を食いしばって登る。写真をトレースして絵を描いた気になる人は、言ってみればロープウェイか何かで楽して山頂を目指す人だ。しんどい思いをして坂道を登っている時に、機械に乗って涼しい顔で頭上を越してゆく人がいたら、ちょっとカチンと来るのも分かるんだけど、それで頭に来る人は結局山登りの楽しさや意味を分かっていないんじゃないか、とも思う。

トレースをしている人達へ
何かを模倣することは上達の近道なので、研究の手法としてはいいのではないかと思う。表現の手段としては、それが必要な表現スタイルもあるので、全部を否定はしない。でも、自分の脚を使わずに山を登ってしまうと、山頂で何か叫んでも、山びこは返ってこないよ。

まあ、何が言いたいかというと、少なくともトレースよりいい線が引けるように頑張ろう、という事です。自分も含め。

執筆: この記事は安倍吉俊さんのブログ『ABlog』より寄稿いただきました
文責: 安倍吉俊

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