特殊な閉鎖環境のなか、「剃刀の刃のように細い線」をたどる叛乱
ピーター・ワッツ『6600万年の革命』(創元SF文庫)
非常にユニークな設定の閉鎖環境SF。中篇「6600万年の革命」と、その続篇にあたる短篇「ヒッチハイカー」を併録している。どちらも天文物理や航宙理論についてはきっちり書かれているハードSFでもあるが、その部分は本筋とほぼかかわらない、言ってみれば小説の味付け程度である。
物語の舞台は、ワームホールゲート網建設のために延々と銀河を周回する巨大宇宙船〈エリオフォラ〉。通常はチンプと呼ばれるAI(擬似人格を備えている)がオペレーションのすべてを運営しているが、不測の事態に備え三万人の人間が乗り組んでいた。人間はほとんど冷凍睡眠状態にあり、必要に応じて必要な人数だけ覚醒される。そのため、当人の意識は〈エリオフォラ〉出発から十数年なのに、客観時間ではすでに六千万年以上も経過している。ワームホールゲート網建設は果てがなく、〈エリオフォラ〉が地球に帰還する日がくるかは不明だ。そもそも地球がいまも存続し、人類が元の人類のままでいる保証もない。
「6600万年の革命」では、ただミッションのためにだけ生きる人生に疑問を持つ者があらわれる。
この構図だけみると古典的な叛乱の物語だが、ピーター・ワッツはそこに重要な”制限”を加えており、これが作品のテーマと緊密に絡まってくる。〈エリオフォラ〉の乗員は、自然に生まれた人間ではなく、ミッションのために遺伝子改造と特別な教育を施されているのだ。しかし、完全に制御されているわけでもない。AIでは判断できない事態に対応するため、自意識や感情は残されており、経験を積むなかで新しい思想・欲求を発展させることができる。
「自分だけの自由意志」と「計画のための刷り込み」。主人公サンデイはこの事態を、「知性と従順さのあいだの、剃刀の刃のように細い線」と表現する。
数千年に一度しか覚醒せず、他の乗員とやりとりする機会が限られているなかで、いかに同志を見つけレジスタンス組織を成立させるかが、この作品のメインプロットである。叛乱の首謀者は、サンデイと親しいリアンだ。AIチンプの周到な監視下での叛乱計画は至難であり、メンバーに加わった者のなかにスパイがまぎれこんでいる可能性も排除できない。
このプロットと平行して、サンデイの内的葛藤が描かれる。彼女はチンプに独特な精神的つながりを感じており、急進的なリアンについていけない気持ちもある。
それとは別に、サンデイは記憶の奥底にある「タランチュラを連れた男」の印象に取り憑かれていた。知りあいの乗員にそんな者はおらず、あるいは幻覚かもしれない。しかし、タランチュラ・ボーイの正体を明かすことが、自分の人生において重要だと感じられてならないのだ。
ピーター・ワッツは長篇『ブラインドサイト』や短篇集『巨星 ピーター・ワッツ傑作選』において、知性や自由意志について深く掘りさげてみせた。「6600万年の革命」もテーマ的に共通しているが、ここではデカルト以降の哲学や認知科学の知見に基づいたアプローチよりも、政治や社会学なところに軸足があるように思える。〈エリオフォラ〉の乗員ほどではないにせよ、人間誰しも物心つく前からなんらかの「刷り込み」を受けている。フリーハンドの自由意志はないのだ。〈エリオフォラ〉号の状況は、私たちの世界のグロテスクに歪んだ映し鏡でもある。
とはいえ、SFならではの大胆な飛躍も、この作品の読みどころだ。リアンやサンデイは、表立っては〈エリオフォラ〉を管理しているAIチンプを出しぬこうとしているが、実はその彼方にある超越的な”何か”に立ちむかっているのだ。その”何か”の気配がしだいに濃厚になっていく。眩むようなサスペンスだ。
併録された短篇「ヒッチハイカー」(〈エリオフォラ〉のさらに二百万年未来が舞台)でも、そのサスペンスは繰り返される。ただし、まったく違うかたちの変奏だ。
「6600万年の革命」と「ヒッチハイカー」、両者の結末の印象はあまりに落差が大きい。本書の「解説」で渡邊利道さんは「まったくもってワッツは意地悪な作家」と述べているが、うーん、正直なところ、ぼくはどう受けとめるべきか途方に暮れている。
読者のみなさんはどう解釈されるだろうか? ぜひ意見を聞かせていただきたい。というわけで、きわめて異例ながら、こんかいは「今週はこれを読んでください」でした。
(牧眞司)
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