麻生失言とされるものと「貧乏人は麦を食え」
今回はタケルンバさんのブログ『(旧姓)タケルンバ卿日記』からご寄稿いただきました。
麻生失言とされるものと「貧乏人は麦を食え」
文章は主語と述語で成り立っているわけだから、主語が変わると、その意味もまた変わると思うんだよね。
いや、例の麻生副総理の失言っていう話なんですよ。
「麻生副総理が終末期医療めぐる発言撤回、一般論ではなく私見」 2012年01月21日 『Reuters』
http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPTK059510920130121
「私は遺書を書いて『そういうことはしてもらう必要はない、さっさと死ぬんだから』と渡してあるが、そういうことができないと、なかなか死ねない」
「麻生副総理が終末期医療めぐる発言撤回、一般論ではなく私見」 2013年01月21日 『Reuters』
http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPTK059510920130121
「(私は)死にたい時に死なせてもらわないと困る」
「麻生副総理が終末期医療めぐる発言撤回、一般論ではなく私見」 2013年01月21日 『Reuters』
http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPTK059510920130121
「しかも(医療費負担を)政府のお金でやってもらうというのは、ますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらわないと、総合的なことを考えないと、この種の話は解決がないと思う」
「麻生副総理が終末期医療めぐる発言撤回、一般論ではなく私見」 2013年01月21日 『Reuters』
http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPTK059510920130121
この発言の主語は「私」で、麻生副総理のこと。麻生副総理が自分の価値観として話している。
これがまた「国民は」が主語だったらまずいかも知れんけども、自分の死生観なわけで、特に失言ではないよね。まあ、マスコミの場合、編集という名の切り抜きをするから、妙な形で伝播するわけですが。
で、この話で思い出したのは故池田勇人首相なんですよ。
彼の有名な発言に「貧乏人は麦を食え」というのがありますが、実はこれ、言ってないんです。
「池田勇人」 『Wikipedia』
http://ja.wikipedia.org/wiki/池田勇人
また、第3次吉田第1次改造内閣にて大蔵大臣を務めていた同年12月7日、「貧乏人は麦を食え」と発言したとして話題となる(実際は、参議院予算委員会で社会党の木村禧八郎の質問に答えた中で、「所得に応じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副つたほうへ持つて行きたい」という発言を当時の新聞が改ざんして報道した言葉。)
実際に議事録ではこうなってます。
「参議院:予算委員会9号(32/285)」 昭和25年12月07日 『国会会議録検索システム』
http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=15767&SAVED_RID=4&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=1&DOC_ID=21282&DPAGE=1&DTOTAL=3&DPOS=1&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=17858○国務大臣(池田勇人君) 御承知の通りに戰争前は、米一〇〇に対しまして麦は六四%ぐらいの。パーセンテージであります。それが今は米一〇〇に対して小麦は九五、大麦は八五ということになつております。そうして日本の国民全体の、上から下と言つては何でございますが、大所得者も小所得者も同じような米麦の比率でやつております。これは完全な統制であります。私は所得に応じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副つたほうへ持つて行きたいというのが、私の念願であります。
この発言がマスコミ流の編集の結果「貧乏人は麦を食え」になったんです。
新聞は文章として前後をカットするし、単語や表現を省略する。テレビも発言の一部をカットする。それは「わかりやすさ」を重視しているわけなんだけども、わかりやすさを優先すると、真実が真実として伝わらなくなる。わかりやすくした人間の受け取り方が優先されてしまうから。
しかしまあこういう過ぎた編集をして、曲げてマスコミが伝えるとなると、首相退任会見のときに新聞記者を追い出した故佐藤栄作首相のように、編集されるマスコミを嫌い、生放送のような編集されないメディアを選択するようになってしまうよね。曲げるマスコミから、曲がらないメディアへ。もうそれは自然な選択として。
新聞とかテレビ、ラジオという従来のマスコミとインターネットという対比の問題ではなく、発言内容が編集されることなく伝わるかどうかの問題。一部の記録から、全体の記録への保全の問題として。
こうした編集行為は、旧来のマスコミの自殺行為にしか思えない。改ざんされるなら、誰も話そうとしなくなる。当たり前の話。
発言ひとつでクビが飛ぶ政治家だからこそ、そういう選択が今後進んでいくと思う。こういうひとつひとつの出来事を契機にして。
執筆: この記事はタケルンバさんのブログ『(旧姓)タケルンバ卿日記』からご寄稿いただきました。
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