令和、江戸、平安を生きるヒロインの恋〜川上弘美『三度目の恋』
男女間の心の機微がよくわからない人間としては、恋愛というものをメインに据えた小説というものはほとんど求めていないのだった。それでもたまに「読んでみようかな」と心が動くとしたら、少々変化球なものに対して。川上弘美さんの作品は、私が手放しで読書欲をかき立てられる数少ない恋愛小説だ。男女の触れ合いを端正に描いた恋愛ものであることは間違いないのだけれど、川上作品には読む者の想像を超えるひねりのようなものがあると思うから。
本書の主人公は、現代を生きる梨子。かつ、江戸時代の花魁でもあり平安時代の女房でもある、という不思議な構造の小説だ。梨子は幼少の頃から、年上の生矢(なるや。愛称はナーちゃん)に恋し続けている。思い叶ってナーちゃんと結婚するが、それは妻としての苦労の始まりでもあった。なにせ、ナーちゃんはモテる。どれほどモテるかを示す描写を探すのに困らないくらい。「ナーちゃんはさまざまな種類の女たちの柔らかな媚態をひきだす力をもっていた」「ナーちゃんになら、心の奥底にある秘密を打ち明けても、きっと最後まで静かに優しく聞いてくれる。そんなふうにすべての女たちに感じさせる」「ある種の男たちもまたナーちゃんに惹かれるのは、なんとまた不可思議なことでしょう」などなど。老いも若きも、男も女も、ナーちゃんに魅了される。例えば梨子の母も、そして梨子の父までも。親族からの親しみは別にしても、自分に向けられる好意に対するナーちゃんの「多情」さは問題だった。常に他の女性の影がちらつく中での結婚生活を送る間に、梨子は疲弊していく。そんなある日、梨子は小学校の用務員だった高丘さんとの運命的な再会を果たす。
高丘さんは、小学校生活になじめなかった梨子の心のよりどころだった。しかしながら、高丘さんは梨子が4年生のときに小学校を去ってしまった。梨子に「いつか魔法を教えてあげるよ」という約束の言葉を残して。それから、ほぼ四半世紀ぶりの再会。苦しんでもなおナーちゃんを求める梨子に、高丘さんは「きみも魔法をおぼえることができるよ」と予言のように告げたのだった。時を同じくして、梨子は夢をみるようになる。そこでの梨子は、あばらやに暮らす7歳の娘。時を経て10歳になった娘は、姉たちと同様に口減らしのため売られていくことに。
夢とはいえ、別の人間の人生を生きることになった梨子。その後ナーちゃんとの間に子どもをもうけ、育児に奮闘する日々が過ぎゆくうち、梨子は再び夢をみるようになる。今度の夢は、江戸時代よりもさらに時を遡った平安の世のこと。このたびの梨子は10歳の少女で、同い年の貴族の姫に仕える女房。3年ほど後に、聡明な姫さんの結婚相手が決まる。その殿ぎみの名は、「業平さま」といった…。梨子が夢の中で別人として生きることは、現実におけるナーちゃんや高丘さんとの関係にも変化を及ぼす。最終的に梨子が選んだ道は、驚きもあったけれど彼女らしくもあると感じた。「三度目の恋」ってそういうことか。
「あとがき」にて、本書は「伊勢物語をモチーフとした作品」であり、「『高丘親王航海記』(澁澤龍彦著、文春文庫)への大いなるオマージュ」であると書かれている。私はどちらの作品についても優れた読者とはいえないけれど、本書を読んで平安時代や江戸時代と時間は隔たっていても当時の人々ともつながっているような心持ちになった。いつか何百年も何千年も先に現代の本を読んだ人が、「令和時代の人々と心はつながっている気がする」と感じることはあるだろうか? そうだったら、ちょっと愉快だなと思う。
(松井ゆかり)
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