購買のソーシャル化
今回はmedtoolzさんのブログ『レジデント初期研修用資料』からご寄稿いただきました。
購買のソーシャル化
Kindleは線を引いたりページを折ったりといったことができないから、今はもっぱら漫画ばかりを買っているのだけれど、クリックひとつでもう購買が終了するこのやりかたは、お財布の底が抜けそうで怖くなる。
電子書籍を売る側の人たちは、もちろん読者にはもっと本を買ってほしいのだろうから、電子書籍の購買は、そのうちゲームみたいになるのだろうと思う。
ソーシャル化の未来
そのうちたぶん、タブレット端末からKindleのアプリを立ち上げると、画面にはまず真っ先に「お友達の〇〇さんがこの本を買いました!!」というアナウンスがプッシュされるようになる。Amazonで自分が何かの本を買えば、当然その内容も他のユーザーに配信され、Amazonのサイトを眺めれば、ユーザーの興味に応じたランキングリストが用意され、自分がその中でどれぐらいの順位にあるのか、あるいは本の購買を通じて得ることができた「称号」を閲覧できる。
こういうサービスを「余計なお世話だ」と感じる人も多いだろうけれど、そうした機能を手がかりに、新たな購買機会を得る人もまた多い。
本を読むのが好きな人のある割合で、恐らくはまわりから読書家だと思われるのを好む人もいる。もちろん本が好きだからこそ本を買うにせよ、「好き」のありかたはずいぶん異なる。そういう人はもしかしたら、本を読むことそれ自体よりも、「読書家だ」とか「詳しい人」だとか、本の購買を通じて手に入るそうした称号を喜ぶかもしれない。
ネット世間ではいろんな場所で喧嘩の花が咲く。社会経済方面はけっこう過激な言葉が飛び交って、「もっと勉強してください」とか「無知な質問は悲しいですね」とか、あの人達の言葉は鋭く刺さる。喧嘩の舞台は掲示板形式になることが多いけれど、発言者のハンドルネームに「Kindle経済ランキング」みたいな番号が付加されると、喧嘩はいっそう派手になる。
スタンプラリーをしたい
紙の本と異なって、電子書籍はデータだから、「買った」感みたいな満足が少し足りない。立体物を手にすることができない不足を、その購買によってランクが上がったとか、あの作家の推奨リストがまたひとつ埋まったとか、そういう形で満足を返してくれるとちょっと嬉しい。
ネット時代、話題がほしくて、「ネタ」で何かを買う人は多い。ところがたとえば、ハヤカワSF文庫を全巻まとめて購入しても、話題はせいぜい1時間も続かない。大量の文庫を購入して、それを本棚に並べて背表紙を写真におさめ、Twitterで自慢をすればFavが100ぐらいつくかもしれないけれど、1時間もしたら、それだけのお金を費やした「ネタ」も過去の出来事になる。これはいかにももったいない。
たとえば同じ購買を行なって、Kindleで「ハヤカワ文庫制覇者」の称号をもらえるのなら、お得感ははるかに高くなる。そんなことができる人は決して多くないだろうし、それでもハヤカワのSFを買う人は多いから、思い切って全制覇を行なってしまえば、称号はいつまでもそこで輝く。全部買ったら高いけれど、それを「安い」と思う人だってきっといる。
新潮文庫の100冊やペリー・ローダン全巻も、「それを制覇したもの」のリストに名前を連ねることができるのなら、それをやらかす人もいるんじゃないかと思う。なんといっても電子書籍は、100冊買っても本棚スペースを喰わないのだし。
得点がないことはメリットになる
スコアランキングや様々な称号は、ゲームの世界ではもはや当たり前に実装されているけれど、ゲームを上手になるのは難しい。器用不器用の問題はもちろんあるし、やりこまなければどんなゲームだって上手になれない。やり込める人はそれでもいいけれど、時間がなかったり、他のゲームにも手を伸ばしたくて、それでも「称号」を買えるのならそれを買いたい人は、たぶん一定の数が期待できる。
ルールが設定されたゲームとは異なって、「購買」という行動は、好きなように序列を作れる。
新潮文庫が好きな人と、太宰治が好きな人と、あるいは無頼派の文学が好きな人とはそれぞれ異なるけれど、すべての人が同じ本を買う可能性は高い。同じ本を買ったところで、それぞれの読者が興味をもつランキングは異なるだろうし、「太宰治ランキング」で上位を狙う誰かが、たとえば「新潮文庫ランキング」の序列で下位に甘んじても、それを悔しいとは思わないだろうし、そもそもそんなランキングに興味を持たたい。
ルールのない「購買」世界においては、あらゆる興味にランクや称号を設けることができて、そこではたぶん、お金を支払うことで、誰もが一位になれる可能性がある。
「勝つ」のは案外面倒で、負ければそれだけ悔しい思いをすることになる。それを楽しめる人も多いのだろうけれど、お金を支払うだけでランキングから称号を手に入れることができ、抜かれたら買い返せばいいのなら、それを「つまらない」と思う人がいる一方で、案外多くの人が「それはいいね! 」と評価するのではないかと思う。
称号の授与権を獲得した会社が購買を総取りする
「グイン・サーガ制覇者」や「ペリー・ローダン制覇者」、お金の掛かりそうなところで「国書刊行会全制覇」みたいな称号があってもいいけれど、称号は権威からもらわないと喜びが減じてしまう。
作家本人や出版社には、そうした権威になれる可能性があるけれど、流通業者はたぶん、そうした権威の獲得に失敗した会社は、そのうち淘汰されてしまうのではないかと思う。
恐らくはあらゆるものがソーシャル化する。それを下らないと思う人と、購買を通じて得られる品物よりも、むしろそれを通じて手に入る称号に価値を見出す人とに、ユーザーは大別されることになる。お互いが分かり合うことはないだろうけれど、後者はこれから伸びる余地が無限にあって、一方で前者の総数は、今がピークでこれからむしろ減っていく。「便利」で購買を伸ばせるのは前者の側だけれど、後者に品物を届けるためには、単なる便利ではまだ足りない。
課金世界と会話世界との橋渡しに成功した会社が覇権を握れる。Amazonは一番近い場所にいるけれど、国内の流通はどうなんだろう?
執筆: この記事はmedtoolzさんのブログ『レジデント初期研修用資料』からご寄稿いただきました。
ガジェット通信はデジタルガジェット情報・ライフスタイル提案等を提供するウェブ媒体です。シリアスさを排除し、ジョークを交えながら肩の力を抜いて楽しんでいただけるやわらかニュースサイトを目指しています。 こちらのアカウントから記事の寄稿依頼をさせていただいております。
TwitterID: getnews_kiko
- ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
- 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。