『千日の瑠璃』427日目——私は虚栄心だ。(丸山健二小説連載)

 

私は虚栄心だ。

うたかた湖畔の別荘地でひっそりと暮らしながら心の安定を保とうとする狂女に、依然として巣くっている虚栄心だ。日に幾度となく、気温の変化や風向きや鳥の鳴き方によって心神を喪失し、統覚作用に大きな乱れが生じてしまう彼女ではあるが、しかしその危なげな胸のうちには、まるで正常な者たちのように、私がへばりついている。

きょう、夢魔にうなされて飛び起きた彼女は、いつものように、めかしこむだけめかしこんで買物に出掛けた。そして私は、彼女がそのスーパーマーケットの口開けの客となった途端に、唆した。すると彼女は急に周りの視線を気にし始め、それは自分がどれほど幸福であるかを確かめたがっている眼ざしに違いないと思いこみ、もしそうなら皆の期待に応えてやらなくてはならないと勝手に決めた。

彼女は、まほろ町では果たして買い手がつくかどうかもわからぬほど上等な、ステーキ用の和牛肉を買った。彼女が自慢したかったのは、高価な買物をしたことではなく、それを三人分買ったことだった。彼女は顔馴染みの、難病の息子を抱えているせいで笑みが歪んでしまったおばさんを相手に、まことしやかな嘘をずらりと並べたてた。夫と子どもの三人でこの肉を食べるのだ、と言った。いつもならいい加減な受け答えしかしないレジ係の女は、きょうに限って「まあ、倖せだこと」と言ってくれ、「わたしもよ」と言った。
(12・1・金)

丸山健二×ガジェット通信

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