『千日の瑠璃』416日目——私は仮面だ。(丸山健二小説連載)
私は仮面だ。
空身の気楽さと孤独によって、今や夢想家の典型となった若者が、個人的な舞踏のために作った、粘土の仮面だ。満天の星をいくら仰いでも虚ろな気持ちがおさまらない今夜、彼は私のほかには何もつけないで踊り狂う。うたかた湖ののたりのたりとした波の音や、うつせみ山に沿って昇ったり降りたりする寒風の音に合せて、排他的な松林のなかで《醜態》を踊りつづける彼は、夜鷹よりも上等だ。
踊りながら彼は、旧来の覊絆を脱し、父母が親子の情を利用して吹きこんだ戒めを投げ棄て、郷里を新天地に見立ててゆるりと観照する。しかし、私にできるのは彼の期待を裏切ることでしかない。その日その日を日雇いの仕事で食いつないでいる、見込みのまったくない若者に、私は刹那の錯覚さえも与えてやることができない。依然として彼は、己れの惨めな現状を見極めることができず、無知からくる誤信と思わざる過誤とを後生大事に背負っている。心の惑いは募るばかりだ。
彼はきょう、舌触りのよさそうな肌を持った、垂れ目の未亡人の誘惑から辛うじて逃れた。「おまえは所詮おまえでしかない」と私は言った。彼は怒って私を剥ぎ取り、たったひとりの観客の、夜よりも青い少年に私を与え、着る物を着て土蔵の塒へ帰って行く。少年は私をしばし眺め、かぶろうとして寸前でやめ、「おれはおれでいいや」と呟き、私を松の根元に叩きつける。《醜態》が割れた。
(11・20・月)
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