稀覯書や古文書をめぐる怪奇譚、黴の匂いと書架の陰翳
著者マンビーは1913年にロンドンで生まれ、ケンブリッジ大学卒業後、古書店やオークションカンパニー勤務を経て陸軍に編入、フランス戦線で捕虜になり、収容所で怪奇小説を書きはじめた経歴の持ち主。職業作家ではなく、趣味で創作に手を染めたわけだ。作品数は少なく、49年刊行の本書に収録された14篇がすべてのようだ。その後は、書誌学者として業績を重ねた。
M・R・ジェイムズの衣鉢を継ぐと言われるように、古い遺物や歴史的記録をきっかけとして怪奇にふれる物語を得意とする。たとえば、本書冒頭にかかげられた「甦ったヘロデ王」では、16世紀に刊行されたジル・ド・レ(少年虐殺で悪名が高い貴族)に関する書籍をめぐる綺譚である。主人公はその稀覯書を知りあいの蒐集家の書架で見つけ、背表紙を見た瞬間に「まちがいなくあの本だ」と気づく。古本集めの醍醐味を覚えたばかりの高校時代、まさに同じ一冊を手にしたことがあったのだ。古本屋を探して、学校で禁じられている地区にまで足を伸ばしたのが、そもそものはじまりだった。
細い路地のみすぼらしい場所に、埃まみれの本がうずたかく積まれた店を発見する。
書誌情報に詳しい、怪しげな人物が妙に親切に話しかけてきて、どうにも拒めない。
古書店めぐりに熱中した者なら、この主人公と似た体験があるのではないか?
けっきょく、ずぶずぶとその古書店に入り浸るようになり……。
古書を題材にした小説(怪奇小説でもミステリでも)はあまたあるが、日常からズレた古書店の空間(黴の匂いと積まれた本の陰翳)、畏怖と魅惑が入り交じった微かに感情を、これほど表現した作品はそうない。
「出品番号七十九」は、古書目録に目を通すのが日課の蒐集家が語り手。届いたばかりの目録に珍本(降霊術の写本)を見つけ、おっとり刀で出品店に駆けつけると、「その本はお出しできません」と断られる。なんと、目録に掲載後にその本を廃棄したというのだ。いかなる事情があったのか? 古書目録を編纂したのは、戦争帰りの陰気な店員である。彼がたどった猟奇的運命が徐々に明らかになる。
「悪魔の筆跡」は、中世文献に記された解読不能の〈悪魔の肉筆〉をめぐる物語。文献を手に入れた当人は真っ赤な偽物と思い冗談の種にしていたが、それを見た友人が少年時代に被った戦慄の体験を語りだす。両親を失った彼は、老齢の伯父(聖職者)に引きとられた。その伯父が悪魔を異常に恐れ、悪魔にかかわる言葉を口にすることさえ禁じていたのだ。伯父には秘めた過去があった……。
どの作品もできごとや現象だけに注目すれば怪奇小説の常套だが、語り口がじつに上手い。物語のはじまりで、不吉な予感をじわりと掻きたてておき、読者が身を乗りだしたところで、過去の経緯をあわてず(しかし冗長ではなく)明かしていく。
古書や文献を題材にした作品以外では、山歩きの途中で霧状の触手に追いかけられる「白い袋」が面白い。自然のみごとな描写によって、物語全体に幽玄な雰囲気が醸しだだれる。
(牧眞司)
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