EQMMコンテストの全貌を見届ける『短編ミステリの二百年vol.3』
短篇ミステリーの黄金期はいつだったのか。
ミステリーという小説形式の開祖は、19世紀前半の人であるエドガー・アラン・ポーだとされる。ポーの代表作「モルグ街の殺人」が発表されたのは1841年のことであり、ざっくりと言えば、そこから世紀が改まるまではミステリーの主流は短篇であった。20世紀にはいり、長篇でしか書けない内容、深度を持った作品が多数発表されるようになり、そちらに主権は移っていく。引き続き短篇は書かれるが、長篇の影に隠れて線としてのつながりは見えなくなる。ゆえにその黄金期がいつだったかを即答するのは難しい。
小森収編『短編ミステリーの二百年』は、その難問に挑戦したアンソロジーだ。この連載でもたびたび取り上げてきたが、今回第3巻が刊行された。できれば1巻から通読いただきたいが、もちろん本巻だけでも充分に楽しむことができる。いつものとおり収録作は粒ぞろいなので、何でもいいからとにかく外れのないものを、というご希望の方はぜひ手に取っていただきたい。
このアンソロジーはほぼ編年形式で収録作が選ばれているが、作品が発表された時代背景が明らかになるような配慮も加えられており、巻ごとに少しずつ風合いが異なる。全体の四割は小森による評論に充てられている。単なる作品解説ではなく、こちらが本編なのだ。「WEBミステリーズ!」に連載された小森の評論が企画の原型であり、そこで言及された題名の中から良作を選抜してアンソロジー化したのが本書だからである。小森の文章が理論篇、各収録作はそのサンプルと思ってもらえればいい。前にも書いたかもしれないが、まずは収録作に目を通し、評論を読みながら各作を振り返るというのが最も幸福なこの本の味わい方かもしれない。
今回の収録作で個人的に一押しなのが、フレドリック・ブラウン「最終列車」である。ブラウンは短篇の書き手として高く評価された作家であり、最近は東京創元社からSF短篇の全集が刊行されるなど、再び注目が集まりつつある。「最終列車」は、「ハヤカワ・ミステリマガジン」に掲載された後、なぜかどの短篇集にも収録されずにきた。忘れ去られていたわけではなく、同誌が通巻400を達成した記念号には再録されたし、私事で恐縮だが700号記念のアンソロジーを私が編纂した『ミステリマガジン700〈海外篇〉』にも当然ながら採っている。そういう意味では他でも読める作品なのだが、何度読んでもいいものはいい。人生のやり直しをかけて最終列車に乗ろうとしている男の心理状態をスケッチしたごくごく短い話である。ブラウンの短篇中でもサプライズエンディングの傑作とされるのが「うしろを見るな」(文春文庫『厭な物語』他所収)だが、本編の終わり方もそれに勝るとも劣らない切れ味だと思う。
この他、本質的には短編作家であったスタンリイ・エリンの最高傑作のひとつ「決断の時」や、日本ではまとまった作品集が刊行されていないミリアム・アレン・ディフォードの読むものを苦悩の淵に追い込む心理劇「ひとり歩き」など秀作は多いが、謎解き小説が好きな方へのお薦めはトマス・フラナガン「良心の問題」だろう。軍事革命を成し遂げた独裁国家が舞台とする連作の一つだ。探偵役を務めるのはテナント少佐という警察の責任者である。ブレマンと呼ばれる男が銃で撃たれて死亡する。参考人として呼ばれたアメリカ人の医師・コートンは、その主治医であった。コートンはブレマンに入れ墨があったことから、彼がナチス・ドイツの強制収容所にいたことがあったのだと推測し、少佐に話す。そして、ブレマンを撃った男は絶滅収容所の証拠隠滅を行った親衛隊特殊部隊の指揮官である可能性が高いと。物語の舞台が独裁国家であることがここで意味を持ってくる。元首自身がファシストである国において、警察官はどのようにおのれの良心を貫くことができるのか。物語の逆転は謎を解く探偵を主人公にしたからこそのものであり、ダブルミーニングなどの技法を用いて示された手がかりによって、驚くべき真相が示される。小森は本作の前にメルヴィル・デイヴィスン・ポーストのアブナー伯父もの「ナボテの葡萄園」を配しており、続けて読むとアメリカの謎解き小説がどのように技巧を深化させていったかがわかるようになっている。
フラナガンのデビュー作は、テナント少佐ものの第一作「アデスタに吹く冷たい風」である(同題短篇集に収録。ハヤカワ・ミステリ文庫)。作家エラリー・クイーンが編集長を務める「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン(EQMM)」の年次コンテストで第一席を獲得したのだ。1951年、第7回のことである。本書の評論で圧巻なのは、同コンテストに入選した短篇を網羅して解説していることで、これによって短篇ミステリー史上の位置付けが明らかになった。第1巻では江戸川乱歩主導で行われてきた日本のミステリー受容史に触れ、第2巻では「ニューヨーカー」などの一般誌に掲載された短篇など周縁に位置する作品を扱うことでこのジャンルの輪郭を浮き上がらせてきた。第3巻では、コンテストの成果を検証してアメリカにおいて専門誌が果たした役割とその意義を問うている。
EQMMコンテストは1961年に終了している。開催されない年もあったので、通算回数は13だ。本巻でその全貌を見届けた小森が次巻で扱うのは1950年代から60年代にかけて発表された作品だろう。短篇形式のミステリーが到達しえた水準がどれほどのものであったか、そしてそれは以降どのように変容していったかという展望がそろそろ語られ始めるはずである。楽しみと言うしかない。最後にまたもや私事で申し訳ないが、小森と私が短篇ミステリーについて話した長い対談が現在発売中の『フリースタイル45』に掲載されている。よろしければ併せてご一読を。
(杉江松恋)
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