お詫び文掲載10カ月後の「再犯」……ガジェット通信 短期集中連載~佐野眞一氏の「パクリ疑惑」に迫る(第2回)~

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「週刊朝日」編集長が大阪市・橋下徹市長に全面謝罪

「週刊朝日」編集長が大阪市・橋下徹市長に全面謝罪

【特別取材班より:この短期集中連載のすべての記事一覧はこちらです】

「週刊朝日」(10月16日発売/10月26日号)でノンフィクション作家・佐野眞一氏がスタートした連載「ハシシタ 奴の本性」は、たった1回にして連載打ち切りになるという前代未聞の展開を見せた。「週刊朝日」(10月23日発売/11月2日号)は、河畠大四(かわばた・だいし)編集長名義でお詫び文を掲載している。

通常、この種のお詫び文はなるたけ目立たない場所に配置するものだ。今回のお詫び文は巻頭に見開き2ページで大きく掲載され、目次では最も目立つ場所(右肩)に配置されている。

雑誌発売に先行し、お詫び文の全文は10月22日に「週刊朝日」のウェブサイトでも公開された。以下、「週刊朝日」編集長によるお詫び文を一部ご紹介しよう。

《本誌10月26日号の緊急連載「ハシシタ 奴の本性」で、同和地区を特定するなど極めて不適切な記述を複数掲載してしまいました。タイトルも適切ではありませんでした。このため、18日におわびのコメントを発表し、19日に連載の中止を決めました。橋下徹・大阪市長をはじめ、多くのみなさまにご不快な思いをさせ、ご迷惑をおかけしたことを心よりおわびします。》

《差別を是認したり助長したりする意図はありませんでしたが、不適切な表現があり、ジャーナリズムにとって最も重視すべき人権に著しく配慮を欠くものになりました。
この記事を掲載した全責任は編集部にあります。》

《今回の反省を踏まえ、編集部として、記事チェックのあり方を見直します。さらに、社として、今回の企画立案や記事作成の経緯などについて、徹底的に検証を進めます。》

↓ お詫び文の全文はコチラ ↓
http://www.wa-dan.com/info/2012/10/post-63.php [リンク]

「遺憾の意を表します」というコメントで逃げる佐野眞一氏

前回の連載でもご紹介したとおり、佐野氏は10月19日夜に以下の短いコメントを発表している。

「今回の記事は『週刊朝日』との共同作品であり、すべての対応は『週刊朝日』側に任せています。記事中で同和地区を特定したことなど、配慮を欠く部分があったことについては遺憾の意を表します」(10月20日読売新聞ウェブ版より転載)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20121019-OYT1T01233.htm?from=ylist [リンク]

ノンフィクション作品が作家と編集部との「共同作品」であることは当然なのだが、「すべての対応は『週刊朝日』側に任せています」という物言いは、あまりにも無責任に過ぎないだろうか。しかも言うに事欠いて「遺憾の意を表します」とは、ずいぶんと懐かしいメロディだ。どこかの国の政治家が、これまで数知れず繰り返してきた紋切り型の逃げ口上である。

猪瀬直樹氏(作家/東京都副知事)は、佐野氏のコメントについて次のような意見をツイートしている。

《「週刊朝日との共同作品」佐野眞一言い訳コメント。作家としてそれはおかしい。記者を取材で使っても責任は筆者が負う。取材協力者が明記されてもデータ原稿を渡すのみ、単行本あとがきでの謝辞が通常。作品だからね。雑誌掲載権は編集長、およびタイトルは相談のうえで合意が通常。》(2012年10月19日23:49投稿)
https://twitter.com/inosenaoki/status/259305247774756866 [リンク]

「ハシシタ」には今西憲之氏と村岡正浩氏という二人の取材者のクレジットが明記されており、それ以外に「週刊朝日」編集部も当然佐野氏とのチームプレイに加わる。連載が複数の人間による共同作業だとしても、猪瀬副知事が指摘するように最終的に責任を負うのは「佐野眞一」という看板だ。「佐野眞一」という看板がなければ、連載「ハシシタ」が鳴り物入りでスタートしたわけがない。

2001年、佐野氏は個人情報保護法案に反対する出版業界の人々の集まりで、以下のように熱弁を振るったと聞く。

「国家権力からもらった鑑札(かんさつ)を首にぶら下げてモノが書けるか!」

広辞苑によると、「鑑札」とは《(1)ある営業またはある行為を許可した証として公安委員会・警察署などから交付する証票。免許証。許可証。(2)書画・刀剣の鑑定書。極札(きわめふだ)。》という意味だ。

「ハシシタ」という連載の初回ではあれだけ威勢が良かったにもかかわらず、連載が問題視されて逆に取材を受ける身になると、「週刊朝日に『取材には応じないように』といわれている」とコメントを避ける(2012年10月19日夕刊フジ)。
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20121019/plt1210191137002-n1.htm [リンク]

挙げ句、「遺憾の意を表します」と木で鼻をくくったような返答である。佐野氏自身の言葉を借りるならば、これでは「佐野眞一氏は、朝日新聞の完全子会社が刊行している『週刊朝日』からもらった“鑑札”を首にぶら下げてモノを書いているようなものではないか」と指弾されても仕方がない。

わずか1年足らずで再び……直らない盗用癖

さて、このあたりで本題である佐野氏の「パクリ疑惑」に話題を戻そう。前回の連載第1回では、佐野氏による重大な盗用・剽窃疑惑を検証した。
https://getnews.jp/archives/265781 [リンク]

講談社の月刊誌『現代』(85年11月号)に掲載された佐野氏のレポート(「池田大作『野望の軌跡』」/合計32ページに及ぶ)には、溝口敦著『池田大作ドキュメント 堕ちた庶民の神』(三一書房、81年6月刊行)に酷似する箇所があまりにも多い。『現代』編集部は盗用の事実を認め、翌12月号の編集後記でお詫び文を載せた。

この盗用事件に関連し、猪瀬直樹副知事がツイッターで驚くべき事実を明らかにしている。

《月刊『現代』1985年11月号盗作事件で平謝りからすぐ『新潮45』1986年9月号「ドキュメント『欲望』という名の架橋」(佐野眞一)は、『創』1986年6月号「東京湾横断道路の大魔術」(佐野良衛)「川崎に扇島…」以下まる写し箇所。半年後に再犯、もう付き合えないと思った。》(2012年10月20日午前0:53投稿)
https://twitter.com/inosenaoki/status/259321451792969729 [リンク]

『新潮45』(86年9月号)の記事ということは、『現代』に盗用記事を載せてから、たった10カ月しか経っていない。大チョンボの記憶も新しい時期に、プロの書き手が再び同じ過(あやま)ちを犯すことなどありうるのだろうか。猪瀬副知事の指摘に驚愕しながら、ただちに『新潮45』(86年9月号)ならびに月刊『創(つくる)』(86年6月号)の該当記事を取り寄せてみた。

『創』(86年6月号)でフリーライターの佐野良衛氏が執筆したのは「東京湾横断道路の大魔術」と題する12ページのレポート記事だ。神奈川県・川崎市と千葉県・木更津市を結ぶ東京湾横断道路をめぐり、何やらきな臭い利権合戦が繰り広げられているという取材記事である。

『創』(86年6月号)が発売されてから3カ月後、佐野眞一氏(当時は「佐野眞一」ではなく「佐野真一」名義)が『新潮45』(86年9月号)に掲載したのは「ドキュメント『欲望』という名の架橋」という合計19ページのレポート記事だった。テーマは『創』と同じく東京湾横断道路の利権争いを扱っている。なお、佐野眞一氏の生まれは1947年。この記事の執筆当時は39歳ということになる。

佐野良衛氏の原稿との比較 佐野良衛氏の原稿との比較その2

では、以下の二つの文章を読み比べていただきたい。

《川崎に扇島という日本鋼管の埋め立て地がある。三年かけて埋めた土砂の量は八千五百万立方メートル。スエズ運河で掘った土砂の量より多いそうだが、その大部分は千葉の山砂だった。扇島の場合は、富津市の浅間(せんげん)山のものだ。今はこの山は姿も形もない。すっかり削り取られ、跡地を歩くとまるで西部劇の大荒野のようである。》(『創』86年6月号176ページ、佐野良衛氏のレポート)

《川崎に扇島という日本鋼管の埋め立て地がある。三年間かけて埋めた土砂の量はスエズ運河建設時に掘った土砂を上回る八千五百万立方メートルにも達した。その砂の大半は、富津市にある標高二〇四メートルの浅間山からのものだったが、今はこの山は跡かたもなく消え、採取跡地には野球場が二百面もとれる荒野が広がるばかりである。》(『新潮45』(86年9月号)127ページ、佐野真一氏のレポート)

いかがであろう。まるでデジャ・ヴのようだ。両者を並べてみると頭が痛み、目眩(めまい)さえしてくる(偶然ながら、筆者の名前まで同じ「佐野」だ)。

《三年かけて》と《三年間かけて》、《大荒野》と《荒野》など小さな修正が加えられた形跡があるものの、佐野眞一氏が佐野良衛氏の原稿を片手にこの部分を「コピー」したことは疑いない。よりによって、両者はドンピシャで同じテーマを扱ったレポート記事なのだ。

『新潮45』の86年10月号ないし11月号に盗用のお詫び文が載っているかと推測し、この2冊の雑誌を冒頭から全ページ確認してみた。だが、いずれの号にもお詫び文は掲載されていない。『新潮45』の場合、お詫び文は巻末の奥付部分に掲載されることがほとんどであるため(事実、86年9月号の奥付には前号記事についてのお詫び文が載っている)、見落としはないと思う。

猪瀬直樹氏と佐野眞一氏には、実のところ浅からぬ因縁がある。小板橋二郎氏、山根一眞氏(当時は「山根一真」名義)、猪瀬氏、佐野氏(当時は「佐野真一」名義)は、かつて「グループ915」という著者名でノンフィクション作品を出版したこともあるからだ(グループ915『ドキュメント『永大処分』』講談社、78年6月刊行)。30代初頭の若手ライター同士で共著を出版した仲であるにもかかわらず、二人は決裂した。

《再犯、もう付き合えないと思った。》という猪瀬氏の短いつぶやきに、元友人としての遣る瀬ない憤りと哀しみがにじみ出ている。

(2012年10月23日脱稿/連載第3回へ続く)

情報提供をお待ちしています
佐野氏の盗用・剽窃疑惑について、新情報があればぜひご提供くださいませ。メールの宛先は [email protected] です。(ガジェット通信特別取材班)

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