埋もれた名作を発掘・再評価する意欲的アンソロジー
昨夏に刊行された短篇集『なめらかな世界と、その敵』(本欄でも紹介)によって、一躍、現代日本SFの最先鋭へと躍りでた伴名練。小説家のみならず、「読み手」としても飛びぬけた資質の持ち主だ。それを遺憾なく証明したのが、この二冊組のアンソロジーである。
両篇を貫くコンセプトは「なるべく光の当たっていない作品を取りあげる」であり、二冊合わせて全二十篇のうち、じつに十七篇が個人短篇集未収録である。現在活躍中の人気作家もいるが、現代の読者にはあまり馴染みのない作家もいる。こうした再評価を、若い世代(伴名練は1988年生まれ)がしてくれるのが嬉しい。
各篇に三ページの紹介文が添えられており、その内容の濃さから、編者がどれほど熱心に日本SFを渉猟してきたかがうかがえる。現物の資料にあたらなければわからない情報が満載だが、それをひけらかすようなふうではなく、長年ひたすらにつづけてきた読書の結果として自然に出てきているのだ。
『恋愛篇』の「編集後記」に「物理的に一人でアンソロジーを編むのは初めて」とあって、思わず笑ってしまった。「物理的」にでなければ――つまり自分のノートのなかでは――すでに何冊もアンソロジーをつくっているということだ。よほどのマニアである。ちなみに「一人で」というのは、すでに大森望との共編による『2010年代SF傑作選』があるからだ。
以下、収録作品のなかからとくに印象に残ったものを。
まず『恋愛篇』では、高野史緒「G線上のアリア」は圧倒的。近代以前に電話網が存在したヨーロッパを描き、その設定のスケールとディテールがみごと。キース・ロバーツ『パヴァーヌ』の強度に達している。
小田雅久仁「人生、信号待ち」は、信号待ちのあいだに人生がすぎていく、まるでフリオ・コルタサルの短篇のような奇想小説。淡彩のようなボーイ・ミーツ・ガールから家族愛へとシフトしていく。
藤田雅矢「奇跡の石」は、超能力者が暮らす東欧の田舎町へ旅した主人公が、そこで出会った少女から不思議な石をもらう。共感覚を扱ったSF。情緒的たたずまいで読ませる。
いっぽう、『怪奇篇』ではつぎの三篇が甲乙つけがたい傑作。
石黒達昌「雪女」は、民俗伝承世界と生物学SFとを、医学ノンフィクションふうの叙述(戦前の記録をたどりなおす)で結びつける。並の作家ならクライマックスに持ってくる題材「雪女」を、端から表題につけているところが、この作家の余裕だ。
津原泰水「ちまみれ家族」は、スプラッターにしてスラップスティック。ビートの効いた饒舌文体が素晴らしい。読んでいてトリップしそう。結末の急展開に唖然。これはヒドい(褒め言葉)。
中島らも「DECO-CHIN」は、キャサリン・ダン『異形の愛』を髣髴させるフリークス小説。くだらぬ若手バンドばかりの取材でクサっていた音楽誌記者が、驚異的なバンドと巡りあう。魅了されていく過程がストレートに綴られ、怪異にして感動的。
さて、伴名さんはこの二冊のほかに、いくつものアンソロジー腹案があるとのこと。『怪奇篇』の「編集後記」によれば、過去作品の再評価企画だけではなく、バランスを度外視したエッジの立った現代日本SFアンソロジーも編みたいと意欲を燃やしている。これは楽しみ!
(牧眞司)
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