【レポート】ガン告知から死までを仮想体験するワークショップ「死の体験旅行」
2012年9月27日、真宗高田派のお坊さん、浦上哲也さんが開いている布教所「なごみ庵」(東白楽)において「死の体験旅行」というワークショップが開催されました。このワークショップに参加した友光雅臣さんから、体験レポートをご寄稿いただきました。
死の体験旅行とは?「死の体験旅行」とは、自分が体調の変化に気付いて病院に行き、検査を受け、ガンを宣告され、病気と闘い、治療から緩和ケアへと移り、亡くなっていくストーリーを追いつつ、大切なものを捨てていかなくてはならない悲しみ、そして最後には全てを失い死を迎えるプロセスを仮想体験するワークショップです。
講師の蛭田みどり先生は、「桜町ホスピス」で山崎章郎氏(医師・作家)とともにホスピスケアに取り組まれた看護師さん。現在は在宅緩和ケアの基地である「ケアタウン小平」で訪問看護に従事し、豊富な経験をもとに患者や家族の「住み慣れた家で最期まで」という願いを叶えるべくご活躍されています。グリーフケア(死別による悲嘆に寄り添う手助け)にも詳しく、わが国でも希な施設ホスピスと在宅緩和ケアを熟知しておられます。
グリーフケアは生前から死後までのプロセスが重要
まずは、蛭田先生からグリーフケアに関するレクチャーを受けました。印象に残ったのは「グリーフケアは患者さんが亡くなった後に始まるのではなく、患者さんとそのご家族にお目にかかったときから始まり、患者さんが亡くなられたとき、その後までの過程がとても大切」というお話です。
とりわけ「がん」は経過がある病気なので、患者さんやご遺族との闘病中の関わり方が大切になるそうです。患者さんのなかには、 徹底的に治療を求める人もいれば、緩和ケアへ切り替える人もいて、本当に様々な価値観があるからです。
目の前の患者さんに、「俺、もう死ぬんだろう?」と言われると、「そんな事言わないで、頑張りましょう」と言いたくなるかもしれません。でも、病気の経過や具合を一番わかっている本人からすると「これ以上どう頑張ればいいの?」と思わせてしまうかもしれません。「どうしてそう考えるの?」「そんな風に感じるの?」と声を掛けることで、患者さんが伝えたいことを話してもらいやすいそうです。
また、患者さんが亡くなられた後については「大切なお母さんが亡くなった空洞を埋めることは出来ないし乗り越えることは出来ない。だけどその悲しみは当然で、悲しみと一緒に生きていけばいいと思うと楽になれた」という話があるそうです。グリーフケアによって悲嘆を乗り越えるという考え方もありますが、蛭田先生は「大切な人の死は乗り越えれるものではないと思う。悲しみは悲しみで、無理に消す必要はない」と話しておられました。
私がお坊さんとして接する「死」には、”経過”を感じる部分は少ないです。あったとしても、病院から「あと2、3日とお医者さんから言われましたのでそのときはお願いします」という電話を掛けて頂いた時くらいです。「僧侶に出来るグリーフケアとは、どこから始まるのか」「どう言葉を掛けていくことが出来るのだろう」と考えさせられました。
お坊さんは死の直前に何を思う?
レクチャーの後は、いよいよ自分自身の死生観を見つめてみる、死の体験旅行が始まりました。
まず、大切なものを4グループに分けて5項目づつ、計20項目書き出します。白い紙には「物質的に大切なもの(家、車、パソコン、携帯電話、時計、大切な人の形見等)」、青い紙には「自然の中で大切なもの(空、酸素、水、海、太陽、山等)」 、ピンクの紙には「大切な活動(仕事、読書、音楽鑑賞、スポーツ、子供と遊ぶ等)」、黄色い紙には「大切な人(奥さん、お子さん、両親、友人、先輩等)」。
その大切なものを手に、目を閉じて蛭田先生の語るストーリーに自分を当てはめます。そしてタイミングごとに目を開けて、紙を丸めて床に捨てるということを繰り返します。
「体調の変化を感じ、病院の予約を取る」ときに一枚、「検査を受ける」で三枚捨てます。「ガンを告知される」でまた三枚、「「手術を受けて、治療のため仕事を辞める。体は疲れやすく、あらゆる行動が難しくなってくる」でさらに二枚捨てます。
「数ヶ月が過ぎ、治療の中止と緩和ケアへの移行を伝えられる」で三枚捨てます。こうしてストーリーは進み、最後に残った一枚も丸めて床に捨てて、「死」を迎えます。すべての紙を捨てるまでの時間は約25分間でしたが、とても重い時間でした。
目を開けると二人一組になって、相手が息を吐くのに合わせて、両手で相手の背中を軽く押します。その行為からは、「自分が、そして相手が何より今健康で生きていると言うこと。死の間際にはとても難しく、貴重だった呼吸が出来ている」というありがたさが感じられました。そしてなにより手を当てて看るという、看護の原点に帰る意味もあるそうです。
そして、7人ほどのグループで「死の体験旅行」で最後に残ったものはなんだったのか、捨てていく経過で何を思ったかを話し合いました。
やはり、黄色い紙(大切な人)に書いた「妻」「子ども」が最後まで残ったと言う人が多かったですが、「瞑想」や「念仏」、「仏教」を残したというお坊さんらしい声もありました。「蛭田先生の物語の中で、意識がもうろうとして、誰がそばにいるのか、なんて言ってくれているのかもわからないなかで、念仏は手放さずに済んで結果的に自分について来てくれたから」ということでした。
ワークショップを通して感じたこと
がんが進行していくプロセスを仮想体験してみて、「何を捨てるか」を選べるのは健康な状態であるときだけだと気づかされました。病状が悪化すれば、どんなに望んでも「スポーツする」「海や山を見る」「好きなものを食べる」ことはできなくなってしまいます。最後は、「読書」すら難しくなるでしょう。
しかしまた同時に、ある程度は”捨てる順番”を段階的に選びながら死を迎えることは、恵まれていると言えるのかもしれないとも感じました。蛭田先生によると、やはり「がんでよかった」と感じるご遺族もいるとのこと。「確かにつらいけど、準備や覚悟も出来るし、家族で食卓を囲む時間を大切に感じて過ごすことも出来た。だから突然死と違った死への時間が送れて感謝している部分もある」とお話されていたそうです。
『死の体験旅行』を主催した「なごみ庵」の浦上哲也さんは「かねてから自分自身も受講したかったワークショップを、お坊さん向けに開催することで、お坊さんとしてグリーフケアにどう携わるかを考える材料やきっかけ作りができてよかった。実際に大切な人をなくされた方のお気持ち、そして亡くなっていく方のお気持ちの数百分の一しか分からなかったかもしれないけど、そのほんの少しを感じられただけでも意味があるし、接し方も変わっていくはず」とお話されていました。
私自身は、このワークショップは「死」と向かい合うためでなく、「生きること」と向かい合うためにもとても意味のある体験となりました。誰もが、明日にでも突然死んでしまうかもしれません。今こうして生きていると言うことの大切さを再認識し、その時になって後悔しない一日一日を、人生を送るには今何をすべきか。毎日をどう生きるか?意義深いと言う言葉では済ませられない濃密な時間だったと思います。
朗読劇「よきひと、親鸞 恵信尼ものがたり」
「なごみ庵」の浦上哲也さんと坊守で俳優の保谷果菜子さんご夫婦による朗読劇「よきひと、親鸞 恵信尼ものがたり」が神谷町光明寺で行われます。浄土真宗の開祖、親鸞聖人の奥様である恵信尼様の視点からお二人の生涯を演じ語るという朗読劇。秋深まる夜のお寺で、暖かい「なごみ庵」の雰囲気を感じられる素敵なひとときになると思います。
日時:2012年10月19日18:30開場 19:00開演 20:20終了(開場時間、終了時間)
場所:光明寺(東京都港区虎ノ門3-25-1)
アクセス:東京メトロ日比谷線神谷町駅 徒歩1分
参加費:無料(お気持ち箱あり)
申し込み方法:TEL&FAX 045-491-3909 メール:[email protected]
Facebookイベントページ:https://www.facebook.com/events/287010914737760/
なごみ庵ウェブサイト:http://753an.blog.so-net.ne.jp/
寄稿:友光雅臣(ともみつまさおみ)
1983年生。大正大学卒。2008年天台宗比叡山での修行を終え、東京・常行寺の僧侶になる。2011年より音楽を軸とした仏教総合イベント『向源』2012年に対話イベント『お寺で対話する夜』神職と僧侶の勉強会『神仏和合』を開催。
ウェブサイト: http://www.higan.net/
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