『千日の瑠璃』359日目——私は存在だ。(丸山健二小説連載)
私は存在だ。
生まれ落ちてからこの方まだ一度も疑われたことがない、少年世一の自己の存在だ。とんでもないわからず屋でも、専門医の診察を要するほどの夢想家でもない世一は、これまで私とぴったり合致して少しの弛みも、少しのずれもなく、手を取り合って生きてきた。つまり世一は、私の前へ出たがることも、私の後からしぶしぶついてくることもなかった。そうやって生きられるのは、まほろ町ではおそらく彼ひとりだろう。
しかし人間以外の生き物では、動物にしても植物にしても、それが当たり前だった。ただし、世一が飼っている青い鳥だけは例外だった。そいつは野育ちの鳥でありながら、人間の特質ともいえる苦悩の領域に踏みこみ、禅味を帯びた妙なるさえずりを放ち、正邪の違いを判別し、光の思想と闇の哲学を考え合せ、純正中立を守り、後人が決する価値をすでに知っており、ときに世一の代理を務めた。
うつせみ山の禅寺で修行に励み、塵界に名利を求めぬ僧たちは、要するに世一と私の関係をめざしているのだろう。たったそれしきのことにあれほど自虐的な日々を重ねているのだ。だが、かれらのうちひとりでも、その意味で世一に眼をつける者はいなかった。かれらの世界では道を窮めたと称される長老の高僧ですら、世一を見かけても学ぶべきことがない相手として片づけ、何もない彼方へ眼をやったまま、通り過ぎてしまうのだった。
(9・24・日)
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