『千日の瑠璃』322日目——私は洞察だ。(丸山健二小説連載)
私は洞察だ。
片丘のてっぺんから、岩頭の高みから、一切の欲念を去って全町を鳥瞰する少年世一、彼の意識下にある洞察だ。少なくともここ一、二時間くらい天地正大の気が漲るまほろ町は、私に言わせると、閉じた社会でも開かれた社会でもない。そうかといって、地域主義に凝り固まって布石を誤ってしまった、草深い里でもない。たしかにここには、日に数十万人を呑吐する駅を持つ大都市のような混沌や活力はなく、また、長くて辛い旅路の終りを告げてくれそうな最果ての地の雰囲気もない。
しかし、まほろ町の運命が危殆に瀕しているというわけではない。ここには、共通の敵を持つことから生じる、友情に似た、巧みな人情があり、衆に穎脱し、名声を博するような人物を生み出せる素地がまんざらないとはいえない。ここには、己れを信じる者と、神のほうを信じる者と、そのいずれも信じない者とがいる。ここには、断じられるべき罪があり、漏れてはまずい密事も人口の数だけあり、黙視するに忍びない事態も少なからずあり、清算すべき破倫な関係も世間並みにある。青や赤や紫の思想を表白して舌戦を繰り広げたがる連中もいるし、人の嗤笑を顧みない無為徒食の輩もいて、たとえ斃死しても果たすべき宿意を棄てそうにない信念の人もいる。
「だから何だってえ?」と世一は私にたずねる。すると、私に代って籠の鳥オオルリが、「ただそれだけのことさ」と答えてくれる。
(8・18・金)
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