『千日の瑠璃』293日目——私はサングラスだ。(丸山健二小説連載)
私はサングラスだ。
作られてから三年間も日の目を見ず、ようやく買われたと思ったら、僅か半日で棄てられてしまった、銀色のサングラスだ。あばずれの女友だちにもう流行遅れだと言われると、そいつは私をキャンプ場の屑籠に投げ入れ、消音器を外したオートバイに楓爽とまたがって、遊惰な日々へと帰って行った。
ところが、数時間後に拾う神が現われたのだ。その女は辺りをきょろきょろ見回してから何くわぬ顔で私を拾い、素早くバッグへ押しこむと、自転車に飛び乗り、後ろも見ないで一散に逃げ出した。そして、夥しい数にのぼる本に埋まった職場へと駆けこんだ。彼女は洗面所の前に立って、四十の姥桜になるかもしれない自身の姿まで見えてしまうような、前途を憂慮する眼を私で覆った。彼女は私を通して見る己れに予想以上の驚きを覚えたらしく、当惑顔を保っていた。やがて、唇に現われている享楽的な雰囲気に感づいた。
その唇が勝手に動いたかと思うと、胸臆の吐露を始めた。彼女は私の助けを借りて言いたいことを言ってのけ、自分が何を言いたかったのかを悟性に訴えて理解した。もし恋人との仲を引き裂いてしまう者がいるとすれば、それは強烈な色香で惑わすどこかの若い女などではなく、また、彼と縁戚関係にある者たちの余計な口出しでもなく、きっとわが弟に違いない、と彼女は確信したのだ。そう思ってからしばらくして、彼女は私を踏み砕いた。
(7・20・木)
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