『千日の瑠璃』288日目——私は大麻だ。(丸山健二小説連載)
私は大麻だ。
許可を得て栽培している農家の畑から種が飛んで山に自生した、しぶとい大麻だ。私のことをありふれた草ではないと気づいた者は、これまでひとりもいなかった。そのせいで私はここ何年ものあいだ、ただの草として過してきた。ところがきょう、地元の人間とは思えぬ若者がやってきて、谷に沿って一面に広がっている私をひと目見るなり、小躍りして喜んだ。彼は私を手に取って幾度も幾度も確かめた。それから私を束ねてきつくきつく抱き締め、おかしな声を張りあげ、我に返ると、あたりをきょろきょろ見回した。だが、動いているのは野鳥と水と風ばかりで、他人の気配はなかった。
若者は私に言った。おまえにはどうしょうもなく鬱屈した日々を打ち砕いてしまう力が秘められているのだ、と。それから今度は自分に言った。これでこんな田舎町に移り住んだ甲斐があった、と。また、胸につけている青い鳥のバッジを撫でながら、宝の山に巡り合えたのはおまえのおかげかもしれん、と言い、いよいよ運が向いてきたな、とも言った。
厭な予感がした。私を見つめる若者の眼の輝き、それは只事ではなかった。この谷に棲むオオルリが一斉に警告のさえずりを発した。しかし、バッジのオオルリは素知らぬ顔をして沈黙を守っていた。彼は、場所を忘れぬようにあたりをよくよく見てから、私のサンプルをポケットにしまって山を下って行った。
(7・15・土)
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