『千日の瑠璃』284日目——私は慈愛だ。(丸山健二小説連載)
私は慈愛だ。
孵卵器で孵されてまもないアヒルの雛に惜しみなく注がれる、童女の慈愛だ。胸の片隅に初めて私が芽生えた彼女は今、広々として青々とした採草地の真ん中に腰をおろし、蛇行して光を流す小川を前に、子の成育に必要な一切のものが揃っているわが家を後にして、トラクターのコマーシャルソングを口ずさんでいる。ここには、手遅れで策の施しようもないことなどひとつだってありはしないし、また、奢侈を極めた生活にはどうしても欠けてしまう暖かい条件がすべて調っている。
彼女のことを実の母親と信じて疑わない小さくても眩い生き物たちは、ひとかたまりになって彼女の膝の上に乗り、彼女の掌のなかにある餌といっしょに私をついばんでいる。その数は二十羽と多いが、しかし私はその一羽一羽に公平に分け与えられる。保育器で育てられた彼女も、アヒルも完璧で、両者の命を保つ諸器官の諸機能も完全な働きを示している。それぞれの魂にしてもまた然りだ。
けれども、彼女もアヒルもまだ知らない。知らないほうがいいことを知らないでいる。そこから僅か百メートルと離れていない孵化場で、彼女の両親が選り分けた鶏の雄の雛を煮えたぎる熱湯のなかへ無造作に投げこんでいることも、二百メートルほど先にある野道を、誰の眼にも不完全だとわかつてしまう少年が、屠所に引かれる牛のようにのろくさ歩いていることも、まだ知らないでいるのだ。
(7・11・火)
ウェブサイト: http://marukuen.getnews.jp/
- ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
- 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。