『千日の瑠璃』280日目——私はバスタオルだ。(丸山健二小説連載)

 

私はバスタオルだ。

湯あがりの女の乳房と恥部をいっぺんに隠すことができる、黄色いバスタオルだ。きのうと同じように私は彼女のしずくと汗を吸い取り、聞き古した彼女の自問自答とどこか投げやりな気分を吸い取る。それから彼女は、夫を亡くしてから一度も異性を受け入れていない、また、受け入れたくもない体に私をしっかりと巻きつけたまま、女だてらに強い酒をぐいぐいと呷る。肴は緑がかった陰雨だけ。

そしてきのうと同じように彼女は、引っ張り出した古いアルバムを窓明かりで見る。夥しい数にのぼる写真、家族が減るにつれて従業員が減り、従業員が減るにつれて《三光鳥》が傾いてゆく様子を如実に物語っている数々の写真。女将はそれを眺めながら、他人はおろか自分にも決して弱みをみせない顔の緊張を徐々に解いてゆく。もはや帰らぬ往事となった日々が、困却の末手を引いてしまった人々が、私と共に彼女を唆す。

今宵《三光鳥》にいるのは、女将ただひとりだ。雨のせいで客が集まらず、賭場は開かれていない。同居人といってもおかしくない娼婦は仕事に出掛けており、抗病力があるのかないのかよくわからない病める少年は、オオルリが腹をすかせているからなどと言って、ちょっと前に帰って行った。うたかた湖を叩く雨は、女将をも叩く。私は彼女の鼻水を拭き取り、アルバムの上に落ちた雨粒大の涙を拭き取る。しかし、月を隠す雨雲は拭えない。
(7・7・金)

丸山健二×ガジェット通信

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