『千日の瑠璃』275日目——私は地震だ。(丸山健二小説連載)
私は地震だ。
うたかた湖の地下数十キロメートルの深さで起きた、誰も迷惑を被ることがない、軽い地震だ。二百年前に高い頻度数でつづいたうつせみ山の群発地震に比べれば、私が放出したエネルギーなど大したものではない。たぶん私は地方紙の片隅に載ることも、ラジオやテレビの電波となって県内を飛び交うこともないだろう。ましてや、大地震の前兆だと喧伝されることは間違ってもないだろう。
たしかに私のせいで湖面は高波に覆われ、それは幾度となく岸を洗った。しかし道路を水浸しにすることはなく、古い桟橋を破壊することも、ボートを転覆させることもなかった。ウインドサーフィンに興じていた若者を束の間喜ばせた程度だった。そして住民の大半が気づいてくれたものの、恐れをなした者はひとりもいなかった。それどころか、全員が挙って胸をときめかせたのだ。
近来稀な出来事、そうした大事件に飢えていた人々は、私が次の一瞬に眼もあてられないほどの惨状を招くことを期待して、自ら体を大げさにぐらぐらと揺さぶった。なかにはばったりと倒れてみせる者までいた。しかし、微動だにしない者がひとりいた。その少年が動かずにいられたのは、病による体の揺れと私がもたらした大地の揺れとがちょうどうまい具合に重なって消し合ったからだ。揺れがとまった少年の脳中に去来したのは、湖に頭を突っこんで死んだ彼の祖父の面影だった。
(7・2・日)
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