『千日の瑠璃』261日目——私は梅雨だ。(丸山健二小説連載)
私は梅雨だ。
例年より早く訪れたせいで、まだその道に卓越した識見を持つ者にも気づかれていない、梅雨だ。私はまほろ町に漂う土壌を抑え、草木の生長を一気に促して手回しよく夏の支度に取りかかり、十把ひとからげにできる情念を鎮め、社交辞令の数々を引っこめさせ、進取の気性に富む者の気勢をそぐ。
そして私は、土蔵のなかで自ままに起き伏しをつづける若者を、たった半日で腐らせてやる。彼は、別様の考え方もあることをすっかり忘れて私の意のままに操られ、振り回されて、気鬱の泥沼へとはまってゆく。古人が道破した言葉の二つ三つにしがみつき、確固たる信念を持って生きた偉人の二、三人に思いを馳せたものの、結局何の役にも立たず、閉め切った土蔵の奥で骸のようにころがっているしかない。海食洞のなかで一生を終える眼の退化した生物のように、それでも生きたいという思いから逃れることはできない。
突然若者は素っ裸になり、屈伸運動を始める。体が充分に温もり、各関節が滑らかになるまでつづける。ついで、彼の命よりも重い土の扉を押し開け、私のなかへ飛び出し、腕組みをして天を睨み、雨滴の動きをつぶさに観察し、それを五体の動きとして表現する。
《雨》を踊る彼の魂は銀灰色に染まり、あとからやってきて加わった病気の少年の踊りと呼ぶには凄過ぎる踊りは瑠璃色に輝く。恨むらくは私のほかに見物する者がいないことだ。
(6・18・日)
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