『千日の瑠璃』258日目——私は稚魚だ。(丸山健二小説連載)

 

私は稚魚だ。

およそ五百万尾のなかからようやく五十万尾にまで選別されて残った、まだ運がいいとは言えない錦鯉の稚魚だ。緋鯉の彫り物で背を飾った男は、色と模様のみを基準にしてふるい落とした四百五十万尾を、いつものように処分する。どこか近くの川や湖へ放流したり、ペットショップに叩き売ったりせず、光と熱しか流れていない土手の下の草地へと、そっくり投げ棄てる。無慈悲の溜り場だ。

鱗一枚一枚の底から湧きあがってくるような、今のところほかに作り出せる者がいない鮮やかな黒を、少しでも長く独占するにはそうするしかないのだ。突然水を失った四百五十万の仲間は、たちまち恐慌を来す。ある者は鳥や鳶の餌食になり、ある者は虫けらどもに肉を引きちぎられ、またある者は太陽に焼き殺されてゆく。従容として死に就く者はいない。そうならずにすんだ私は、かれらの最期をしかと見届ける。無情がすぐそこにある。

だからといって、私が安心するのは早過ぎる。そうした選別は、成長するにつれてあと三回ほどあるのだ。夜を徹して冷血な独裁者を演じつづけた男は今、四百五十万の惨死と五十万の恐怖に挟まれながら、鼠色のヨモギの上に孤独な身をぐったりと横たえて、解放の大鼾をかいている。見る影もない姿の彼自身もまた、これまでに幾度か何者かによって酷たらしい選別を受けてきたに相違ない。生きてはいても、彼はふるい落とされた者だ。
(6・15・木)

丸山健二×ガジェット通信

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