『千日の瑠璃』249日目——私は空き缶だ。(丸山健二小説連載)
私は空き缶だ。
飲み干されると同時に、夏へ突き進む太陽めがけて思い切り叩きつけられた、コーラの空き缶だ。まだ梅雨に入ったわけではないというのに朝から蒸し暑いきょう、下請けのまた下請けの町工場へ働きに出掛けた青年は、先月まで勤めていたパチンコ店を横眼で見ながら、赤と白のまだらの自動販売機に小銭を入れる。そして朝飯を食っていない、いじけた胃へ、泡だらけの茶色い液体をどっと流しこみ、額の汗を掌で拭いながら、私を投げる。
それも、ただぽんと空中に放ったのではない。ありったけの力と憎悪を利き腕にこめ、天に向ってぶつけたのだ。私はくるくると回転して上昇し、降り注ぐ光線やら熱線やら、あるいは、じたばたするなと言うオオルリの声をはねのけて、いちいち挙げるのもくだくだしい彼自身の弁解の言葉を蹴散らす。しかし、この世を支配する重力と資本の力には到底逆らえず、たちまち引き戻され、早くも溶けかかっているアスファルトの路面に落ちてからからと転がり、犬どもが朝な夕なに小便を浴びせ、酒を呑み過ぎた人間がつかまって反吐を吐く電柱に当たってとまる。
だが、それだけではすまない。まだいくらもまほろ町に馴染んでいない若者のでかい足が迫ってくる。彼は私をぐしゃっと踏み潰してから、おくびをひとつし、胸のところにつけていた青い鳥のバッジをポケットにしまいこむと、人を人とも思わぬ職場へと向う。
(6・6・火)
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