『千日の瑠璃』248日目——私は煙草だ。(丸山健二小説連載)

 

私は煙草だ。

真っ赤な紅を塗った厚ぼったい唇をすっきりと見せている、長い紙巻の煙草だ。彼女は私を装身具のひとつとしてしか扱っていない。その証拠に、ほとんどの煙は肺へ送りこまれないまま吐き出されている。彼女は鏡台のなかの自分から眼をそらさないで、背後の女に言う。「どうお、こうやって喫ったほうが商売女らしく見えるでしょ?」と言い、骨折していないほうの手で私を器用に操る。

すると《三光鳥》の女将は寂しい笑みを二重顎のあたりに浮かべ、食べようとしていた塩羊羹を遊びにくる少年のために残しておこうと元の引き出しにしまいこむ。それから彼女は、「その手が治らなければ働かなくてすむのにね」と言う。娼婦は「そうもゆかないわよ」と静かに言い、静かに私を口へ持っていく。女将は話の途中でついと立って部屋を出て行き、それきり戻ってこない。

話す相手がいなくなると、娼婦は途端に私に興味をなくし、亀の形の灰皿へぽいと投げこむ。そして、口のなかにたまった煙といっしょに虚勢のかけらと、犯し難い気品を吐き出す。それはすり切れた畳の面を滑って縁側から庭へ降り、地面に移植されて秋を待つシクラメンの傍らを通り、湖が生み出す闇に呑みこまれる。残りの煙は天井を伝って階段を昇り、二階の大広間へ入り、そこで単純明快な博打に興じる人体のよくない男たちが吐き出す煙といっしょになって、悪の渦を作る。
(6・5・月)

丸山健二×ガジェット通信

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