『千日の瑠璃』239日目——私は缶切りだ。(丸山健二小説連載)

 

私は缶切りだ。

まほろ町へ流れ着いてからまもなく少年世一の友人となった物乞い、彼が後生大事にしている旧式の缶切りだ。彼は丈夫な紐を私に通して首から下げており、眠るときでも決して外さない。私はこの四十数年のあいだずっと、まだ彼に働く意志があり、困惑の表情を忘れていなかった頃からぴかぴかに磨きこまれ、錆ひとつなく、どんな装身具よりも高い誇りを持って過してきた。

私が道具として使用される機会は滅多にない。これまでに私が開けた缶詰は、たぶん十数個程度だろう。それというのも、米や小銭はともかく、缶詰を恵んでくれる者などそうざらにはいないからだ。そして、彼がもらった金や拾った金で缶詰を買うときは、体験したさまざまな惨苦を思い出した日か、さもなければ、己れの呆れ果てた不実な行為を責め過ぎた日と、だいたい相場が決まっていた。

私が薄い金属の蓋をゆっくり開け始めると、彼はいつものように眼をしょぼしょぼさせ、垂れてくる鼻水を袖口にこすりつけた。それからまたいつものように、結局は全部自分で食べてしまうくせに中身をきちんと三等分し、この世にいるはずもない幼い弟と妹に、「さあ、食うとするか」と言った。そう言って彼はまずひとり分を平らげ、「なんだ食べないのか、もったいない」と言ってもうひとり分を食べ、残りのひとり分を、通りかかった世一を呼びとめて、無理矢理食べさせた。
(5・27・土)

丸山健二×ガジェット通信

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