『千日の瑠璃』230日目——私は遊覧船だ。(丸山健二小説連載)

 

私は遊覧船だ。

この春からうたかた湖で稼ぐことになった、白鳥をかたどった中古の遊覧船だ。私は、ただ光るだけの風と煌くことしか知らぬ波をかき分けながら、大空へ向ってはばたくふりをしながら、いつまでも水面を滑っている。疑問符のような形で曲った私の長過ぎる首、その先端の頭にあたる部分には、海を忘れかけた本物の鷗が一羽胸を張ってとまっている。

そして私の胴のなかには、まほろ町の居心地のわるい宿に分宿したり、まほろ町のまずい弁当を食べたりしないで、せいぜい半日で通り過ぎてしまう観光客が、ぎっしりと詰めこまれている。かれらの反応を自分の眼で確かめようと客に紛れて乗りこんでいる私のオーナーは、早くも後悔している。情勢を誤断して、成算のない商売に手を出してしまったのではないか、というそんな不安に苛まれている。私の力だけで団体客がどっと繰りこむなどということは絶対にあり得ない。そう言い切ったのは、貸しボート屋のおやじだ。

しかしきょうの乗客は皆、福運に恵まれた者のように満面に笑みを湛え、些細な発見を針小棒大に言い合うことで決まり切った日常から見事に脱出しているではないか。有り金を私にはたいてしまったオーナーもそのことに気づき、「やれるとこまでやってみるか」と自分に言い聞かせる。湖を一周して私が元の岸壁に係留されると、乗客たちにとってあの少年世一ですら観光の対象となっている。
(5・18・木)

丸山健二×ガジェット通信

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