『千日の瑠璃』225日目——私は丘陵だ。(丸山健二小説連載)
私は丘陵だ。
立派な緑樹を端から伐採されて、遂には灌木と雑草しか生えなくなってしまった丘陵だ。私の形は全体にふくよかな乳房のようにつるりとしており、豊饒を連想させるに充分だが、しかし実際には内に秘めるものなど何もありはしない。萌える若草の下にあるのは、鉄分ばかりが多い土と、あとは、さながら物故者の名簿に付き纏っているような、そんな類いの空しさでしかない。
今、私の上には真昼の月がかかっている。そして、その白い月の真下から麓へ向って蛇行してつづく道、トラクターがつけたでこぼこした道の上には、あの少年世一が佇んでいる。別人かもしれないと私が思ったのは、彼の体がまったく揺れていないからだ。台座にボルトで固定された剝製か何かのように、まったく動かない。世一は《無》をその眼中におさめ、《虚》の震え声を微かに発している。打ち見たところ何か事情がありそうだ。
私は、当人ではなくて風にそっとたずねる。世一はそうやって、突如として甦った幼心にも悲しい記憶に堪えているのだ、と風はそっと答えて去って行く。堪えられるだけ堪えた世一は、やがて素手で私に穴を掘る。ついで、両親がたしかに吐いた古い言葉を、「あの子はもう駄目よ」という母親の言葉と、「駄目なものは駄目だ」という父親の言葉をその穴に埋め、土をかぶせる。世一の叫びが私にこだまし、うたかた湖が一面に波立つ。
(5・13・土)
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