『千日の瑠璃』222日目——私は皮下脂肪だ。(丸山健二小説連載)
私は皮下脂肪だ。
まほろ町へやってきてから一段と厚味を増した物乞いの体を隈なく覆う、下等な皮下脂肪だ。転出証明などとは無縁に生きる彼は、例によって勝手にこの地を現住所と定めた。地元の人々は彼に食べ物や小銭を恵むのが、托鉢の僧の場合の気分と異なることに気づいた。つまり、物乞いからは優越というお返しがあったのだ。物乞いは与えられる物すべてをありがたく押し戴き、胃袋におさめた。
そしてきょう彼は、歩くたびに息切れがする原因をようやく突きとめた。彼は松の根元に短い脚を投げ出して坐ると、シャツやら何やらをたくしあげ、私をしげしげと見つめ、掌でぴしゃぴしゃ叩き、つまんだ。私は彼の首をすっかり埋め、腹と胸と尻の境を消し、内股をひりひりさせ、腰や膝に鈍痛を与え、内臓の機能をいくらか低下させ、とりわけ心臓に負担を掛けてやる。
しかし、それでも彼は私をどうにかしようとは考えなかった。「食えるうちが花さ」と呟き、やおら立ちあがると、風塵を避けて丘の麓の小屋へころがりこんだ。彼はそこで眠っていた病気の少年を叩き起こし、「見ろ、こんなに太っちまった」と言い、ぶっきらぼうな口調で、飼い鳥の最期について語った。「どんな鳥でもしまいにはぶくぶく太ってくたばるんだ」と言い、「それを脂烏っていうんだ」と言った。すると少年は私を震える指でつつき、誰に飼われているのかと物乞いに訊いた。
(5・10・水)
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