『千日の瑠璃』211日目——私はカラマツ林だ。(丸山健二小説連載)

 

私はカラマツ林だ。

まほろ町の北西に広がって野鳥の金甌無欠の王国を築き、うたかた湖の面を萌黄色に染めているカラマツ林だ。植林されたその年に見棄てられてしまった私は、手入れをされないまま苦難の十五年をくぐり抜けた。雪に折られたり、日光不足で枯れたりした枝が、根元付近に累々と横たわり、足の踏み場もないありさまだ。それでも私は年々生長し、百種にのぼる小鳥を繁殖させ、数十種の繊細な野草を育てている。

そして私は今年もまた、芽吹きの美しさであの老夫婦を誘った。「これが春だよ」と元大学教授は言い、「やっぱり春が一番ね」と彼の奥さんが言った。ふたりは目敏くカタクリの花を見つけたが、決して摘み取ったりはせず、ただ眺めていた。それからかれらは、まるで示し合せたかのように追憶に耽った。奥さんは、四十年前の長男を思い返して、寝つきのいい子だった、と言った。彼女の夫は、三十五年前の長女を思い出して、よく笑う子だった、と言った。だが、特に耳新しい話は何もなかった。私は去年の春にも、その前の春にも、寸分変らぬ話を聞いていた。

正午を告げるラジオの時報が、湖を渡って私のところまで届いた。夫妻は回想の重さに堪えられなくなって、私の外へ出た。私の傍らを雑務に追われている鬘をつけた男が通った。しばらくして、振り返ることも先を見ることもしない、青色の好きな少年が訪れた。
(4・29・土)

丸山健二×ガジェット通信

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