『千日の瑠璃』209日目——私は木蓮だ。(丸山健二小説連載)

 

私は木蓮だ。

一本の木に白と紫の両方の花をたくさんつけた、しかしそれにしては少しも目立たない木蓮だ。今、私は珍しく注目を浴びている。カメラを向けられるなんてことは、ここ数十年来一度もなかった。冬のあいだ花を咲かせつづけたシクラメンを休養させるために、私の根元に鉢をそっと置いた娼婦は、《三光鳥》の女将にこう言う。「ここでいっしょに写真を撮りましょうよ」と言い、うたかた湖を背にして置いたカメラのレンズを私の方へ向け、自動シャッターをセットする。

シクラメンの隣りに娼婦が立ち、彼女の脇に女将が並び、そこへ遊びにやってきた少年世一がふたりの前にしゃがむ。湖面が跳ね返す金色の光は、華やかに装った女の過去や立場といったものを見事に消し去り、しかも少年の病の進行を妨げている。娼婦は世一のほとんど肉らしい肉がついていない肩に手を置いて、「じっとしていられないの。ぶれてしまうじゃないのさ」と言って笑う。すると女将が、「この子にそんなことを言っても無理よ」と言って笑う。そして世一は、ただわけもなく可笑しくて笑う。皆につられて、当分のあいだ花をつけないシクラメンが笑い、満開の私も笑う。私たちは幸福に浸っている。シャッターが切られるまでのあいだに私たちは春の光の公平な裁きを受け、全員揃って無実を勝ち取り、カシャツという音に合せていっぺんに解き放たれ、あとは歓談に時を忘れる。
(4・27・木)

丸山健二×ガジェット通信

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