『千日の瑠璃』202日目——私は路地裏だ。(丸山健二小説連載)

 

私は路地裏だ。

神に並ぶほどの勢いで太陽がまほろ町の上空に差しかかっても、尚陰にこもっている路地裏だ。継ぎはぎだらけの粗末な家がびっしりと建ち並んでいながら、私のどこにも人の気配がない。年寄りのしわぶきひとつ聞えず、いつまでもしんと静まり返っている。たまに通りかかる野良猫にしてもほとんど鳴くことはない。また、でたらめな足どりでしか歩けないあの少年世一にしても、私の縄張りを通ってペットショップへ鳥の餌を買いに行くときにはなぜか決して足音を立てず、口笛も吹かず、独り言を呟いたりもしない。

つい今し方、世一が通って行ったばかりだ。電柱に小便をかける世一に、私はこう言ってやった。ここはおまえがくるところではない、と言い、ここは生きることを諦め、さりとて死ねに死ねない者だけが固まってひっそりと暮らす場所だ、と言った。すると世一はいつになく思案げな面持ちで黙りこくっていたが、結局何も言わず、我とわが身が疎ましいような、そんなため息を残して立ち去った。

その微かなため息の余韻は、ほどなく生々しい質感を伴って波紋状の広がりをみせ、やがて堂々たる弁駁となって、そこかしこで渦を巻く。私は、私自身ですらいるのかいないのかわからぬここの住人たちへの悪影響を心配して、その渦を潰しにかかった。しかし時すでに遅く、あちこちで話し声や笑い声が始まり、窓や戸が開けられる音が相次いだ。
(4・20・木)

丸山健二×ガジェット通信

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