『千日の瑠璃』188日目——私はランドセルだ。(丸山健二小説連載)
私はランドセルだ。
まほろ町立第一小学校の新入生が背負う、当人よりもずっと眩しいランドセルだ。私のなかにおさめられているのは、教科書やノートや筆記用具といった物だけではない。めくるめく希望の数々やら、せめて自分以上にはなってもらいたいという親の切なる願いと過度な期待やらが、ぎっしりと詰めこまれているのだ。私としては、何も今から子どもらに現実との差についてつべこべ口出しして出鼻を挫くつもりはない。願意通りになることなど稀だとか、学校で教える知識をいちいち鵜呑みにしたらとんでもないことになるとか、大冊の書を一日で読過するような人間になっても達見の持ち主になれるとは限らないとか、友のために身を挺したり、偏見予断をなくす努力をしたり、師の教えを体したりすることのばかばかしさだとか、そうした類いの忠告は、いずれ日を追って適宜に与えよう。今のうちに諭しておかなくてはならないのは、ころんだら誰の力も借りないで起きあがること、それくらいだろう。
私のあまりの重さに均衡を失った新入生は、どっと倒れた。それもぬかるみの上にだ。溺愛されてここまで育ったその子は、ただ泣くばかりで、ただただ助けが現われるのを待つばかりだった。そこへ病気のせいで学校へ行けない少年がやってきた。その青尽くめの少年は、誰がどういうことになっているのか百も承知で私をぎゅっと踏みつけ、輝ける自立の道を歩いて行った。
(4・6・木)
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