『千日の瑠璃』185日目——私は虹鱒だ。(丸山健二小説連載)

 

私は虹鱒だ。

うたかた湖では最大級、厳密にいうと二番目に大きい、老獪極まる、統率者として適格な虹鱒だ。私ほどに成長すると、もはやブラックバスの攻撃を受けることはない。そんな私に付き従う仲間の数は決して少なくないのだ。きょうもまた、私のところへ身を寄せたがる者が倍増した。際立って美しいとはいえないが、私より尾鰭の分だけ体長が長い《一番》が死にかけていたからだ。

したい放題の日々がいよいよ目前に追っていた。私は早くも《一番》に取って代り、大勢の供を引き具して、湖岸に沿って時計回りに泳ぎ始めた。自身がきょうほど誇らしく思えたことはなかった。水面では渡りをやめてしまった横着な鴨が無恰好な肢をばたばたさせてあくせくと生きており、その更に上では、この世のまわりを低回するあの少年世一が、病気に歪められた顔面にいつもながらの喜色を湛えていた。彼は湖底の巨鯉に向って徒労の呼び掛けを執拗に繰り返していた。

それから私は釣り船の下をゆったりとくぐり抜け、私一己の考えで好きな方向へと突き進んだ。湖を一周して戻ってみると、ちょうど息絶えた《一番》が泡のように浮上してゆくところだった。我にもなく興奮した私は、すでに二番ではないことを強調し、うたかた湖を制するのは自分をおいていないと豪語し、旧来の弊を改める約束を破った。そんな私を黙らせたのは、世一の方へ泳いで行く巨鯉だった。
(4・3・月)

丸山健二×ガジェット通信

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