『千日の瑠璃』151日目——私はすき焼きだ。(丸山健二小説連載)
私はすき焼きだ。
ふたりの女とひとりの少年がひとつの鍋をつついて冷え切った体を暖める、すき焼きだ。肉は上等で、しかもたっぷりとあり、葱は舌の上でとろけ、味つけも申し分なかった。私の匂いを対岸で嘆ぎつけ、湖畔の宿《三光鳥》までやってきた少年に、女将は「上がって食べてゆけば」と声をかけた。そして、逗留にしても期間が長過ぎ、居候や下宿人と呼ぶのもおかしい唯一の客、日がな一日シクラメンの花を眺めて暮らす女は、ためらう少年の背中を押して部屋に入れた。
身をよじりながら私と格闘する健気な少年をしげしげと見つめて、ふたりの女は希望ともいえない細やかな希望を抱いた。つまり、生きるために余儀なくした陰気な行為の数々に蝕まれて、心のところどころにあいた穴が、一時的にしろ埋まってゆくのを覚えたのだ。少なくともその病人がふたりの食欲を減退させてしまうことはなかった。
「前から思っていたんだけど、何だか不思議な子だねえ」と女将は言った。「こういう子に限って案外長生きするもんよ」と若い娼婦は言い、「世の中なんてそういうふうにできてんのよ」と言った。そして急に元気が出たふたりは、さかんに私を少年に勧め、ビールまで呑ませた。三人は私を介して近しい仲となり、気焔万丈の人となり、また、人としての欠格者などではなくなっていった。三人の歌声はうたかた湖の氷を更に融かした。
(2・28・火)
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