『千日の瑠璃』135日目——私は望遠鏡だ。(丸山健二小説連載)
私は望遠鏡だ。
天体と地上の両方に使用できる、普及型の、それ故に飽きられて棄てられてしまった、望遠鏡だ。勤め帰りにごみの山のなかから私を見つけた男は、拾って丘の上の家まで運び上げた。そしてひと晩かけて手入れをし、夜が明けると、新品同様になった私を二階の息子の部屋へ持ちこんだ。彼は、結氷した湖と、氷を割ってもらった狭い水域でくつろぐ色とりどりの水鳥を見た。ついで、年甲斐もなく胸を躍らせながら、四方八方を見渡した。
しかし私をどこへ向けようが、そこにはすでに知っている物があるだけで、また辟易する己れの五十数年間が横たわっているばかりだった。時間の空費ときめつけた彼は、私を息子に譲り、朝酒を呑みに階下へと降りて行った。その少年は、意志に反して動いてしまうわが身に苛立ちを覚えながらも、片方の眼をどうにか私に押し当てることができた。
私が捉えたのは、灰色がどこまでもつづく冬の空間だった。鳥が飛んでいるわけでもなければ、雲が流れているわけでもない、何の変哲もない大気の広がりに過ぎなかった。それでも少年は、「おお、おお」とけもの染みた声をさかんに張りあげ、小躍りして喜んでくれたのだ。傍らの籠の鳥までがつられて鳴き出した。青い鳥の流麗なさえずりと少年の奇声は、私を通して勢いよく飛び出して行ったが、まほろ町の外へ達することはなく、かれらの心の外へはみ出すこともなかった。
(2・12・日)
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