川崎市長の「まとも」な発言を割愛し記事を組む東京新聞
今月4日、川崎市の阿部市長が定例会見の中で、小学校給食に放射性セシウムを含む冷凍ミカンやリンゴの缶詰の使用に対しての判断基準の説明をした記事が、5日の東京新聞朝刊に掲載された。しかし、その記事は川崎市の判断基準が何であったかを伝える目的から遠く離れており、ネット上で東京新聞に対する批判が高まっている。
川崎市では定例記者会見の記録を公開しているが、その記録に書かれてある阿部市長の説明は「給食に使用した食材に含まれる放射性物質の量は0.00幾つのレベルなので、それはスーパーで売られている食材に付着している菌や有毒物質と比較しても、あまりにも軽微な量であり、我々はそれは安全圏の食材であると判断した」となっている。一方、市長の意見に反対の立場の人達の意見は概ね「放射性物質は3.11以前には存在しなかった毒であり、その安全基準は設けられていますけど、それが国が発した基準であろうが、それに不安な気持ちを持つのは当然であるし、身体の発育が止まった成人はいいとしても、敏感な子供に摂取させることに不安は持って当然だろうし、その不安を解消する根拠が、市長の説明では脆弱に見える」という趣旨のもであった。
阿部市長はその反対意見に対し、「もちろん、子供にとっては少量でも、心配をする必要があるというのはわかっていますけれども、それを考えてもまだまだ安全」と述べている。そして「物事全ては程度の問題を考えないと、人間は常にびくびく怯えて生活していくことしかできなくなり、危険にも色々な程度があるので、危険があることそのものを判断しないこと(*注1)は教育上良いことだとは思わない」趣旨の発言を、そこでしている。東京新聞の記事は、その部分のやりとりを殊更強調する記事に組上げられており、本当に読者が知りたがっている川崎市が何を根拠に安全と判断したか、の記述は、殆ど書かれていない。
東京新聞の記事を受け、ネット上でも当初、川崎市長に対する批判が湧いた側面もあったが、それはTwitter等で川崎市が記録の公開先が拡散されることで、川崎市長の誤解はやがて解けていった。東京新聞の記事の作り方は、一定数の、確実に掴める読者を狙うマーケティング手法に則ったやりかたであると推測できるのだが、衰退の一途を辿る新聞媒体の“工夫”に対し、我々も冷静に対応していくことが必要になっているし、また、対応もできる時代になっていることを、改めて知らされた一件であった。
川崎市の定例会見pdf:http://www.city.kawasaki.jp/25/25koho/home/kisya/pdf/120904-1.pdf
*注1:それはつまり“程度を考えない判断に振り回される”ことに繋がると、筆者は考える
- ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
- 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。