『千日の瑠璃』114日目——私は手だ。(丸山健二小説連載)

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私は手だ。

日毎に幸福の形を整え、夜毎に自己を形成しつつある乳児の、魂よりも柔らかい手だ。彼は縁側の日だまりに置かれたベビーサークルのなかで光り輝く眠りを眠っており、どんなことがあっても親を離すまいとする凄い握力を秘めた私を、丸々とした体に沿って左右に広げている。誰もが私に触れたがる。近所の三毛猫ですら、私にほんのちょっと触れるためだけに、かなりの危険を冒して、庭に放し飼いにされているブルテリアの眼を盗んで通ってくる。忍びこんだ猫は、水槽の金魚を盗むやり方で私に触れてくる。しかし、決して爪を立てることはない。そして私は猫にも人間にも平等に、少なくとも半日はいい心地でいられる深い安らぎを与えるのだ。

だが、何事にも例外はある。勝手に頭が動いてしまうために脇見が普通になっているあの少年、私は彼が嫌いだ。嫌いな彼が今また無断で敷地内に入りこみ、庭を横切ってやってくる。不思議なのは、アキレス腱を咬み切って空巣を仕留めたブルテリアが、彼に限って見逃してやっていることだ。少年はガラス戸を開け、壊れたロボットのような動きをする腕を、私の方へそろそろと伸ばしてくる。間一髪のところで、台所から母親が飛び出してくる。彼女は眼を吊り上げて怒鳴りまくり、猛然と少年に襲いかかり、突き飛ばす。少年を撃退したあと、彼女は何回も私を洗い、アルコールに浸した脱脂綿で丹念に拭く。
(1・22・日)

丸山健二×ガジェット通信

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