プロフェッショナルインタビュー:宮坂 学(後編)

プロフェッショナルインタビュー:宮坂 学(後編)

この記事は『LinkedIn navi』の『プロフェッショナルインタビュー』から寄稿いただきました。

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https://getnews.jp/archives/250076

プロフェッショナルインタビュー:宮坂 学(後編)

日本を代表するインターネット企業・ヤフー株式会社。今春に発表された大改革人事で新社長に抜擢されたのが、44歳の宮坂学さんだ。スニーカーにTシャツ姿で軽やかに登場し「僕自身は、六本木よりも自然の中になじみがあるんです」と語る様子からは、親しみやすさと、気負いよりも新しい未来への期待感が伺えます。自身を“やんちゃ”と評する宮坂さん、誰もが気になるその人物像に迫ります。

プロフィール

宮坂 学(みやさか まなぶ)
1967年山口県防府市生まれ。同志社大学経済学部卒業。92年、株式会社ユー・ピー・ユーに入社。企業PRや創刊間もない『Esquire Magazine Japan』などの雑誌にも関わる。97年、創業2年目のヤフー株式会社入社。2002年メディア事業部長、以降『スポーツナビ』運営、ニューズウォッチ(現デジアナコミュニケーションズ)やオリコンDDなどの取締役を兼務、09年には執行役員コンシューマ事業統括本部長に就任。2012年6月より現職。

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第3章
ユニークな会社から転職後、5年で部長へ。
仕事場は六本木、思索は自然の中が宮坂スタイル。

プロフェッショナルインタビュー:宮坂 学

― すごくパワフルな会社に入社され、社会人としての初仕事は何だったのですか?

新入社員向けの企業PR誌の製作です。入社して1か月くらいで、コンペに勝ったのには驚きました。企画書を書いて営業し、取材や編集、入金までやってました。すべて一気通貫でやりましたから、とても勉強になりましたね。ちなみに当時の僕のPCはマックプラスだったので、実はあまり動かなかったですが(苦笑)。

ただ、悲しいことに、会社に入ったらバブルがはじけたんです。景気が悪くなってしまった。だから、会社員でありながら、代理店の友達から依頼された仕事をこなしたり、フリーランス的な仕事もやってたくらいです。貧乏でしたから。

この会社には5年間勤めました。とにかく面白い人が多かったし、いろいろなことを早くキャッチする人が多かった。インターネットについても相当早くから関わっており、先駆者として知られる村井純先生をお呼びするイベントをやったりと、先見の明がありました。

もちろん個人的にも、ネット関係をやらないと今後大変なことになると感じていました。ネットの勉強をやって、HTMLを覚えてフリーランスで会社のサイトを作ったりとかしていましたよ。

― ヤフーに入社されたきっかけを教えてください。

アメリカでヤフーができると知ったときは、大きな話題になりましたし、注目していました。やっぱりシリコンバレーはすごいなと。その後ヤフーが日本に来て、翌年の人材募集を知って応募したんです。

入社したとき、ボーナスを「月」単位でもらえたのには衝撃でした。それまでは小さな会社ですし、「万」単位でしたから、僕の中では大きなパラダイムシフトでした(笑)。

プロフェッショナルインタビュー:宮坂 学

― ヤフーではどのような仕事を担当されてきたのですか?

最初は、営業企画からでした。まだ組織が小さかったので、文系とエンジニアというようなざっくりとした分け方で、『Yahoo!ファイナンス』を担当したのが最初です。それも経済学部出身だからというような、あんまり関係ない理由。その後、スポーツ関係、例えば2002年の日韓ワールドカップの公式サイトやYahoo!ドームの命名権、あとは映像サービスに天気にニュースなど、さまざなことをやらせてくれる舞台がありました。

― キャリアを順調にのばされていると感じるのですが、失敗などはなかったのでしょうか。
ヤフーでは、やりたいことがあればなんでもできる環境でした。前の会社は、残念ながらやりたいことがあってもなかなかできなかった。営業をかけるにしても、先方の代表電話のダイヤルを回しての営業はとても難しい。でもヤフーの場合は、皆さんに興味をもってもらえ、仕事の進め方がとても楽になりました。面白くてしょうがなかったです。

もちろん、テンションが下がったり、スランプの時期はあります。そんなときは、1人で自然の中で考える。これが僕のやり方なんです。

― たった5年で事業部長への昇進とはすごいですね。実感はありました?

狙って昇進したわけではなく、自分としては“流れ”で来た、という感じでした。上を目指すというのではなく、変わらない日常が続くことが嫌なんです。たとえば、ビーチでのんびりとかできないんです。山登りやジョギングなら大丈夫なんですが(笑)。

フットワークは軽い方ですが、とにかくせっかちなんですね。

― どうやって今の地位にまで就かれたとお考えですか?

知的好奇心がつきなかった、ということでしょうか。今振り返ると、もしかしたら普通に銀行員としての人生を歩んでいたかもしれません。普通に就職していたら、です。結果的に見ると、半分ドロップアウトしていたときに観た『ベストヒットUSA』、本など、就職面接で出会った人などに影響を受けたんでしょうね。

プロフェッショナルインタビュー:宮坂 学

― 人脈やネットワークづくりに対して、何かご自身が意識していることはありますか。

僕の場合は、人脈が多い人間がまわりにいる、ということでしょうか。これはありがたいことだと思っています。

個人的には、仕事上で知り合った師匠と呼べるような先輩はいましたが、特別なことはしていません。自分の状態は自分が一番わかっているので、調子が悪いとき、自分はいま幸せかな? と考えてしまうときは、1人になりに行ってゆっくり考えるんです。ときには山越え、雪山とか行きますね。家族には内緒ですが(苦笑)。社長就任してからは危ない所には行ってません。もし行く時はガイドを付けないといけないですね。

― 本当に自然がお好きなんですね。

空気がよいところや自然がきれいな場所でぼんやりすると、自分のやりたいことは何だろうと考えたり、問いかけたりできるのです。忘れていたことを思い出したり、新しいことを思いついて、頭が冴えて、気分が上がってくるんです。

自分にとってなじみのある環境は、本社のある六本木よりも自然の中なんです。

第4章
株式会社「俺」を経営することの大切さ。
これからは、“縦”のソーシャルグラフを充実させたい。

プロフェッショナルインタビュー:宮坂 学

― これからの、とくに若い世代へのアドバイスをお願いできますか?

まずは、ブルース・リーの言葉ですが、「Don’t think. Feel!」です。

理屈っぽいことを言う人は多いですが、それに惑わされないこと。フィールをシンクに邪魔されると後悔することが多い。理屈は確率をあげるために大事ですが、直感も大事にすべきです。

要は、「やってみろ!」ということでしょうか。

そしてもう一つ、自分自身の経営者になれ、ということ。

例えばなのですが、僕の場合は株式会社「俺」という意識があって、その中で自分にとっての幸せが最大限になるように、自分自身を経営しているんです。

僕の場合でお話すると、
株式会社「俺」の重要な事業部として
* 会社事業部(ヤフー株式会社社長)
* 家族事業部(奥さん、3歳の女の子)
* アウトドア事業部(山登り、雪山、バックカントリースノーボードなど)
があるわけです。「俺」の事業価値を最大にするために、自分を経営しなければならない。年齢によっても重要な事業部の役割は変わりますが、つねに意識しています。もちろん、今は会社事業部に力を注いでいますが、家族事業部だって大事なんですよ。

とてもイメージしやすいたとえです。誰もが経営者の視点をもって……もちろん、その前に自身の幸せのかたちをイメージすることが大事なのですね。

そして僕自身は、自分の親の世代よりも今をより良くして、次の世代へバトンを受け継ぎたいという思いがわき上がっています。とくに、大好きな自然、なかでも300年も前から変わっていないような景色を見ていると、つながりの中で生きているんだなと感じるんです。

少し話しがそれますが、実家のそばに人間魚雷・回天の基地がありました。祖父がフィリピン沖で34歳で戦死したという経緯もあり、自分が祖父の年を超えたときは、なんとも言えない実感がありました。

身近な人とのつながりが、もっと多くの人と人へのつながりへ。すべては、未来へよりよくつないで行くためです。これは、ヤフーの経営にも意識していることです。

石巻で復興支援のための事務所をつくりましたが、あの場所だと生きていること自体が奇跡だと感じます。同世代、いわゆる横のソーシャルグラフはできたと思うのです。これからは、その縦のグラフを感じるところへ行くと、考えています。

― それは今後とても重視される視点ですね。
はい。これからは縦のソーシャルグラフも大事です。世代間、世代をまたぐくらいのつながりがあることの大切さ。自分の世代は、前よりも良くして渡していく義務があるのではと思うのです。

自然を感じると、自分がわかるというか、成すべきことを実感します。30代を超えてからでしょうか。1人で海外などにも出かけ、太古の自然を感じられる場所に行くようになって、少し変わったかもしれません。

― 宮坂さんのおすすめの場所を教えてください。
国内なら白馬村でしょうか。父の出身が白馬村の近くでした。私自身が大好きな村で、とてもいい場所なので、ぜひ行っていただけたらと思います。

― そういった場所に行って、リセットされるのですね。自然の中の1人からグループ社員約5000人を抱える社長に戻られて、①やりたいこと②できること③人から求められることについてどうバランスをとっていらっしゃるのでしょう。

やりたいことをずっと思っておくことは大事ですね。だけど何より、僕は人から求められることを断るのが不得意です。そういった不満がたまると、自身の棚卸しやリセットを求めて、また自然に行くんですね(笑)。社員にとって、僕が必要な存在なのかはわかりません。ただ、僕はみんなを必要としている。仕事をして楽しいのは、他者のため、ほかの人へギフトをあげることです。そして、ギフトをあげる対象こそが課題をもっている。

それは社内外とも同じです。ギフトあげる=サポートすることが、重要なことだと思っています。

次の世代へはもちろん、もっとも身近である社員をサポートして喜んでもらえることが僕自身の喜びです。

重ねて言いますが、各々の力をうまく引き出せるような会社にしていくことが一番の役割だと思っています。

もちろん、善人のように与えているわけではないですよ。真っ白じゃないと思うんです。白い紙に染みがあるなんてこともあるでしょうね(苦笑)。

プロフェッショナルインタビュー:宮坂 学

― その辺りは、やんちゃと言われる宮坂さんゆえですか?

それはどうでしょうか? 打ち上げのときに、食べきれないくらいのパフェ(50人分!)をお願いししたことはありましたか……(笑)。多少の悪ノリは大好きです。僕を支えてくれる社員のみんなとは、にぎやかに業務をこなしていますね。会社にみんなに、僕自身の想いも託し、次の世代へとバトンをつないでいきます。

※この記事は『LinkedIn navi』の『プロフェッショナルインタビュー』から寄稿いただきました。

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