『千日の瑠璃』95日目——私は凧だ。(丸山健二小説連載)
私は凧だ。
うたかた湖の陰から発生した暗い風をいっぱいに受けて、冬のか弱い光と共に天翔ける凧だ。鳥の形に似せられて作られ、青と白の二色に塗り分けられた私は、人間の寿命よりもはるかに長い糸を通して、丘のてっぺんに佇む少年世一に正気を与えつづける。そして私は、世一の猿にそっくりな手を通して、惑星の引力にも、人の世の流れにも逆らう邪気を、心ゆくまで堪能している。
二階の窓辺から私を仰ぎ見る籠の鳥は、熱い思いの丈をこめたさえずりを大空へ放ち、羽という羽を震わせている。ひと晩徹夜して私を完成させた男は、分厚く凍った養魚池の真ん中にすっくと立ち、私の糸が更に繰り出されて甥との隔たりが少しでも縮まってくれることを願っている。特別の許しを得て刑務所のグラウンドで揚げた凧の追憶が彼を過り、背中の緋鯉を疼かせる。けれども今の彼には私に託すものは何もない。あり余る自由のなかに身を置いているし、錦鯉の成長につれて夢が叶いつつあるのだから。
やがて世一は私を解き放す。かくして私の責任は重大なものとなる。糸を切られたことによって、より一層高きをめざす者であらねばならなくなった。少なくとも世一や世一の叔父の前では、不様な墜落をするわけにはゆかない。さいわいそんな羽目には陥らず、心憎いほど巧みな造化の天工の中心へ向って、私は高く高く舞い上がってゆく。今や世一は点の存在だ。
(1・3・火)
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