『千日の瑠璃』91日目——私は隙間風だ。(丸山健二小説連載)
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私は隙間風だ。
まほろ町へ駆け落ちしてきた若過ぎる男女が借りたあばら家に、のべつ吹きこむ隙間風だ。反り返った板壁の隙聞から侵入する私は、六畳ひと間の室内をぐるぐると駆け巡り、破れた障子や襖に揺さぶりを掛ける。そうやって私はひとつ布団で寝ているふたりに風邪をひかせ、あわよくば肺炎でも起こさせて固い絆にひびを入れ、しまいにはお定まりの破局へと誘いこもうとしている。
しかし、なかなか思うに任せない。ふたりは相も変らずこのうえない健やかな眠りと比類のない吉夢を貪っており、私などものともしない。夏用の薄い布団では寒いので、揃いのセーターを着たままひしと抱き合っている。そのセーターの胸のところ、心臓を守るようにしてつけられた、やはり揃いのバッジは、オオルリをかたどったものだ。その夏鳥がふたりの情熱を支え、私を跳ね返す力の源となっている。そんな偽物の鳥に負けてはならじと、私は大暴れを繰り返す。
だが、私がむきになって立てるうら寂しい音は、ふたりの歓楽に酔う夢に吸い取られるやいなや、すべて青い鳥のさえずりに変えられてしまう。焦ることはないのだ。ひと冬じっくりかけて、ふざけ切ったこのふたりをまほろ町からきっと叩き出してみせる。そう自分に固く誓った私は、食べかけのミカンと書きかけの手紙のあいだをすり抜け、家を出て、ふたたび寒々とした林のなかへ散って行く。
(12・30・金)
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