『千日の瑠璃』84日目——私は誕生日だ。(丸山健二小説連載)
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私は誕生日だ。
気がついてもらえたところで、特にこれといった感慨も呼び起こせないほど色槌せてしまった誕生日だ。いつものようにまだ夜が明け切らぬうちに眼を醒ました小説家は、私のことなどほったらかしにして腹ごしらえにかかり、必要な物を必要なだけ胃袋におさめると、早速オオルリと少年世一を巡る長い物語の奥へ分け入った。
私としてはそんな彼に厭味のひとつも言ってやりたくなり、一体何歳になるまで書きつづけるのか、と訊いてみた。すると彼は、にべもない調子で、書きたくなくなるまでだ、と答えた。私は、死んでからも書くつもりだろう、と言い、それから貸しボート屋のおやじを引き合いに出して、たとえばあんな具合にゆったりと生きられないのか、とからかった。せめてきょう一日くらいは休んだらどうか、とも言ってみた。ぺンを置いて、くぐり抜けてきた歳月を静かに振り返ってみたらどうだ、とも言った。
どだい通じるような相手ではなかった。彼は午前中いっぱい書きつづけ、いつもと変らない昼食をとると、いつものようにスクーターに真っ黒いむく犬を乗せ、まほろ町の人々を通して己れを知り、己れを通して他人を知り、少年世一やオオルリを通してこの世を知るために出掛けて行った。取り残ぎれた私は、彼の背中に向って、「それがどうしたあ!」と怒鳴った。「どうもしないわよ」と彼の妻。
(12・23・金)
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