『千日の瑠璃』58日目——私は印象だ。(丸山健二小説連載)
私は印象だ。
まほろ町に移り住んでせっせと小説を書きつづける男の、少年世一に対する当初の印象だ。私は漸次快方へ向う陽性の病人ではなく、生活の営みの枠からはみ出した、誰の眼にも明らかな余計者だ。私はのべつ何かしらの助力を誰かれの見境なく仰ぐ者で、仲間から放逐された者で、ただ存在するだけで他人の心の領土を蚕食する者だ。私は鬱積する不満をたちどころに和らげ、ちっぽけな成功に酔い痴れて広言を吐く者に痛罵を浴びせる。
私は掛け替えのある命で、また、初めからどぶに棄てられている人生だ。私にはこの世に不同意を唱える資格が充分にある。しかし私は何人の如何なる愚行も見咎めず、軽侮の念を抱くこともない。私は親疎の別なく誰とでも付き合い、当為の行為として日々の運命を甘受する。だが、そのまったく正反対でもある。私は徒に前途を悲観する者ではなく省みて悔いることが多過ぎる者でも、むやみやたらに怖じける者でもない。だが、その逆かもしれない。私はただ幼弱なばかりの児童ではなく、瀕死の類人猿でも、機械仕掛けの亡骸でもない。私は決して取っ付きのわるい奴ではなく、人中で恥をかかされることに馴れた子どもでもない。私は大勢の人々をいっぺんに和ませる雰囲気を持っている。だが、そのあべこべかもしれない。私は生きる権利を享有し、生きる者としての細やかな矜持を保有している。だが、その……。
(11・27・日)
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