『千日の瑠璃』54日目——私は薄笑いだ。(丸山健二小説連載)
私は薄笑いだ。
そんな眼でしか世間を見ることができない長身の青年、彼の口元にのべつ貼りついている薄笑いだ。すでに私は、ドイツ製の高級乗用車と共にまほろ町を三周もしている。だからといっていやに気転の利くこの男が、ただドライブを楽しんだり、白くて豪華なクルマを見せびらかしたりしているというわけではない。移り住んだばかりの町の地理をしっかり頭に叩きこんで、追ったり追われたりするときに備えているのだ。
そしてもうひとつの狙いは、世間知らずの田舎者たちに向って、法律の外で生きる者の何たるかを知らしむることにある。住民たちはまずクルマに眼を見張り、それからようやく私に気づいて朗色を失い、絶対にこけ威しなどではない圧迫感を覚えて、たじたじとなる。托鉢中の修行僧の一団ですらそうだ。かれらは眼をそらし、道をあける。
青年はガソリンスタンドに寄る。働き者の店主が飛び出してくる。やくざ者は恩着せがましい口調で言う。「せいぜいひいきにしてやるからな」 と。そのあとのお定まりのせりふは、私が引き継ぐ。「わしらが何者かわかってるな?」と言ってやる。効果は覿面で、居合せた者たちの体が一斉に硬直する。だが、骨無し動物のような動きをする少年だけは別だ。つかつかと進み出た少年は、穴があくほどまじまじと見つめ、私を真似ようとして、締まりのないその唇をさかんに歪める。
(11・23・水)
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