演奏会が中止になった指揮者に聞く音楽家の仕事 オーケストラを生演奏で聴くべき理由

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演奏会が中止になった指揮者に聞く音楽家の仕事 オーケストラを生演奏で聴くべき理由

2020年3月、いまだに新型コロナウイルスの影響により演奏会・イベントの自粛は続いています。そんな自粛ムードのなか、とある音楽家が自身のYouTubeにコンサートの中止を知らせる動画を投稿していました。

この動画を投稿したのは指揮者の平林遼さん(@ryo_hirabayashi)。

平林さんは東京音楽大学指揮科を卒業したあと、海外で修行を重ね、イタリア国際指揮者コンクールで第3位、ニーノ・ロータ国際指揮者コンクールで聴衆賞を受賞するという輝かしい経歴を持つ指揮者です。

現在のような自粛ムードが高まる以前から、筆者は個人的に平林さんに会う予定でした。

音楽に関しての素人が、指揮者本人にインタビューをして、一般には馴染みのない“指揮者”という職業の役割について、本人の口から語ってもらえれば面白い記事になるかもしれない──当初はそんな動機でアポをとりました。

しかし、実際に平林さんから話を聞くうちに、指揮者はオーケストラと手を取り合って「演奏会」という生の音を産む場をつくる人間であり、そこには自粛ムードのなかで行われるライブストリームでは再現し得ない魅力があることを知りました。

この記事が、日本で演奏会が再開されたときに観客が1人でも増えることに繋がれば幸いです。

取材・文:トロピカルボーイ

演奏会が中止になった指揮者がすること

──今、世間では演奏会の自粛ムードが続いています。平林さんも出演予定の演奏会が中止になるなど、影響を受けているようですが……。

平林遼(以下、平林) おっしゃる通り、大きな影響が出ています。このままでは干上がってしまうので、私の音楽仲間では「バイトをしないと」と言っている者もいますね。

損失は冗談では済まされないものがありますが、中止になったものは仕方がないので、空いてしまった時間を天が与えた勉強の時間と思って有効に過ごそうと、ここ数日は楽な気持ちで過ごせるようになりました。

──プロの音楽家であっても、四六時中音楽漬けというわけではないとは思いますが、平林さんはどのように余暇を過ごされていますか?

平林 そもそも音楽以外のことにも興味があるんですよ。普段から音楽以外の本を読んだり、お笑いを観たりするのも、どこかで自分の音楽の肥やしになる、と思っていたりするので。

最近だとYouTubeにいろいろなジャンルの専門家が参入してきてますよね? ひと昔前だとお金を出して講演会に行かないと聞けなかったような話が、今ではYouTubeで専門家や経営者本人の口から明かされはじめています。

なので、そういう方たちがお話されているのをYouTubeで見ることが私にとっての余暇かもしれないですね。

──いち視聴者としてYouTubeを利用していた平林さんですが、5年前からご自身でもYouTubeで動画を配信しています。きっかけは何だったのでしょうか?

平林 きっかけはいくつかあるんですけれど……指揮者という仕事はそれこそ名のあるコンクールで受賞しない限り、存在を認知してもらえることはあまりないのが実情です。

YouTubeで動画投稿をはじめた頃の私は、目立ったコンクールの実績もありませんでした。仮にYouTubeを見ている方たちから、素人的に映ったとしても、私のような指揮をやってる人がいるんだって知っていただくきっかけにはなるんじゃないか? と思ったんです。

そういった自分の知名度を上げるような目的もありましたが、もうひとつの理由として、私自身、指揮以外に思想や哲学にも興味があったからです。そこで“音楽に関する哲学”のようなものを自分なりにまとめたい思いがありました。

ピアノを演奏する動画をたまに投稿したりするんですが、それより自分の音楽に対する考えを話している動画のほうが多いので、今思えば、そうした「思想を紡ぐ」みたいなことのほうが本質的な理由かもしれません。

──面白そうですね。本業があるなかで動画投稿を続けるのは大変だったのではないでしょうか?

平林 コンクールで良い結果が出るまでは、自分で大きくPRできる実績みたいなものが足りなかったので、とりあえず1日1個は動画を出そうと日課で決めていただけだったんですよ(笑)。

ただ、最近は動画投稿をちょっと自制しています。「指揮者が何やらベラベラ喋ってるな」って訝しげに思われる可能性は十分あるので、変な印象を振りまかないようにと思いまして。

指揮者になるために資格はいらない

──今日は、音楽のまったくの門外漢である僕の疑問を、畏れ多くもプロの音楽家である平林さんにぶつけよう、という思いがありまして。

平林 私でよければ、何でもお答えしますよ。

──そもそも、平林さんをご紹介する場合、どんな肩書きで書けばいいでしょうか? “音楽家”は肩書きとして正解なんですか?

平林 私の場合は、わかりやすく言えば“指揮者”ですね。

──指揮者というのは、弁護士や医者のような資格職なのでしょうか?

平林 資格職ではないですね。というか、そもそも音楽に携わる仕事で「この資格がないとその業務をしてはいけない」というような話はあまり聞かないですね。あったとしても特殊な業種かなと思います。

──ピアノの調律をする人とかはどうなんでしょうか?

平林 調律師には資格がありますね。ピアノ調律技能士という国家資格なのですが、調律の専門学校などを修了して「自分は調律の勉強をしました」という学歴を証拠にして、調律師をいっぱい抱えている会社に入って仕事をする場合もあります。


平林さんのYouTubeには超絶技巧なピアノ演奏動画が数多く投稿されている。

──これは単純な好奇心ですが、ライターであれば料理ライターやゲームライターなど、好きなように肩書きをつけてセルフブランディングできるのですが、今まで会われた音楽家の中で印象に残っている肩書きはありましたか?

平林 肩書きが多い人はいますけどね。たとえば指揮者だけどオペラの舞台演出もできるとか、歌手だけど翻訳もできるとか。肩書きは基本的にみんな指揮者とかピアニストとか、そんなものですよ。

オーケストラは指揮者がいないと動かない

──ピアニストのように楽器を演奏しているならともかく、指揮者は具体的に目に見えないものを扱っているような気がします。オーケストラで指揮者は何をしているのでしょうか?

平林 基本的にオーケストラは指揮者がいないと動きません。指揮者がいないオーケストラは、例えるなら、社長のいない会社のような感じですね。

──「オーケストラが動かない」について、もう少し具体的にお聞きしたいです。どういうレベルで動かないのでしょうか?

平林 「そもそも誰がテンポを決めるんですか?」 というレベルです。テンポというのは1秒、2秒といった万人共通の絶対値ではないんです。

クラシックは、テンポをどれくらいに設定するかというところからはじまります。この曲は遅めに演奏するのか、速めに演奏するのか。どのぐらいのテンポで演奏しようかなっていうとこから、みんなの仕事がはじまります。

曲が簡単であれば100人ぐらい集まっていても、指揮者なしでコンサートマスター(※)が指揮者の代わりをすれば演奏できます。でも難しい曲だったら、3人でも指揮者がいないと無理です。

※コンサートマスター:オーケストラの各奏者を統率して、指揮者の意図を音楽に具現する役職。第1ヴァイオリンの首席奏者がつとめるのが通常である。

──てっきり楽譜があれば僕が演奏しても100年後の誰かが演奏しても同じになる再現性のあるものだと思っていました。

平林 曲にもよると思いますが、楽譜からの再現性というと、私の体感では古典派やバロックなど楽譜の情報量が少ない楽曲だと3~4割、近代に近づいてくると5~6割くらいの再現性なのではないでしょうか。

だからこそ、演奏家の役割があるとも言えるのですが。

──僕がはるか昔に授業で使った音楽の教科書には「何分音符」とか「やや強く」みたいな記号が書いてありました。

平林 「やや強く」と言ってもどれくらい強くするかが全部違うんで、それを決めるのが指揮者であり演奏家ですね。

私の感覚では、楽譜に書ける情報はほんのちょっとしかありません。たとえば2分音符が書いてあっても、それを最後まで伸ばすのか、しぼむように伸ばすのかということまで書けないんです。

それに近い“ディミヌエンド”という記号はあるんですけど、すべての音符に対して細かく書くというのは要素が細かくなりすぎてまったく不可能です。

例えば「強く」といっても、指揮でこれぐらい強いのか……

音楽家・平林遼インタビュー

これぐらいまで強くするのかで変わります。

音楽家・平林遼インタビュー

──えっ! それで演奏に違いが出るんですか?

平林 違います。ピアノの鍵盤をどれぐらい強く叩くのか、ピアニスト1人だったら自分で全部決められます。しかし、オーケストラは何十人と集まっているので、誰かがすべての意思決定をしないと仕事がはじまらないんです。

指揮者はバッターと一緒にバットを振るようなもの

──指揮とは演奏前に楽譜の解像度を上げていく作業に近いのかなと思いました。観客のなかには、指揮棒の動作であたかも演奏中に指示を出しているように捉える方もいるのではないでしょうか?

平林 それが指揮者の面白いところなんです。例えば野球の監督であればベンチから指示はできても、バッターの腕を持って一緒にバットを振ることはできないですよね?

指揮者は言わばバッターと一緒にバットを振ることができるようなものなんです。

会社の経営者であれば、それぞれの作業を担当する部署に会議やメールで指示を出さなければならないのでしょうが、指揮者の場合は実作業をする段階においても、手でもコントロールができます。

だから指揮者は演奏前や練習の段階でも細かく指示を出しますけれども、同時にリアルタイムの動作も一緒にコントロールしているというのが面白い性質なんです。

──先ほど楽譜からの再現性は曲によっては3~4割程度とのことでした。しかし、音符1つずつについて、オーケストラ全員が「すいません、ここはどうなんですか」なんてやっていては時間がいくらあっても足りませんよね?

音楽家・平林遼インタビュー

平林 作曲で一番大事な情報は音、それ自体です。音は事実なので表記が……あくまでも現代音楽などの特殊表記を除いてですが、人によって変わることはないですし、解釈の余地はありません。人によって「ソの音」と「ラの音」が違うということはないわけです。

ただ細かい要素であるテンポや強弱、ニュアンスや音色は楽譜にざっくりとしか記せません。そこで「ここに関しては決めてもらわなくちゃ困る」という重要なことを優先に、本番までの限られた時間で調整していきます。

1人で舞台に立つ場合は、何年も練習してるってことがあるんですけど、基本的に集団の演奏では本番まで限られた時間しかありません。練習もみんなスケジュールを調整して集まっています。

──まるで現場監督ですね。納期に向かって優先順位をつけてコツコツと集団を導いていくというか。その納期が1週間後なのか、10年後なのか、無限に続ける調整なのか……。

オーケストラは“生き物”

──オーケストラの団員は、指揮者の指示をどれくらいのレベルで把握するのでしょうか?

平林 指揮者は、かなり細かいところまで演奏者と手で息を合わせていきます。基本的に、そのオーケストラが優秀であればあるほど、振った通りに返してくれます。

──ということは、演奏者はずっと指揮者の細かな指示を読み取っているということですか?

平林 ずっと直視することはないんですけど、常に視界に入れていないと仕事にならないと思います。例えばオーケストラは、私が体の重心をちょっと傾けたり、目で見るだけでその楽器の演奏者がぐっと音量上げてくれます。

彼らは指揮者の情報を常に視界に入れているので、こちらの動作に機敏に反応します。


ロンドンでの指揮の様子。指揮者が全身で演奏に関する情報を演奏者に発しているのがわかる。

──ということは、楽器を弾くこととオーケストラで楽器を弾くことはまったく違う能力が必要になってくるのでしょうか?

平林 その通りです。バイオリンを1人で習っていて弾けるようになることと、オーケストラでバイオリンを弾くのとはまったく話が違います。指揮を見る以外にもオーケストラにはいろいろなルールがありますので。

私は、オーケストラは指揮者と演奏者の関係によって生まれる生き物のようなものだと思っています。

人の手による生演奏でしか伝えられない

──「生き物」ですか……。ここまでお話をうかがって、オーケストラの演奏や指揮者の役割を機械にさせることなんて絶対にできない気がします。

平林 そうですね。指揮者の役割はなかなか機械に代替されない要素が多い気がします。なぜなら演奏者が機械ではなく人間ですから。

これは冗談ですけど、1000年後か2000年後か、精度の高いロボット演奏者がオーケストラを代替してくれたら、あらかじめ指示したことを全部そのまま聞いてくれるなんて未来が来たら……

──それこそ映画に出てくるような、人間と見分けがまったくつかないロボット演奏者がいれば……?

平林 指示通り動いてくれるロボット演奏者が存在するなら楽なのかもしれません。しかし、そんな精度の高いロボットはおそらく産まれないかなとも思っています。なぜなら楽器そのものが人間が弾くためにデザインされていますから。

そもそもクラシックは一音一音をどう扱うかっていうことに命を懸けていくジャンルなんです。

──クラシックと他のジャンルの音楽ではどのような違いがあるのでしょうか?

音楽家・平林遼インタビュー

平林 一概には言えないと思いますが、そもそもクラシックは突き詰めた場合は、CDとかレコーディングっていうのもナンセンスだ、と考える人もいるかもしれません。

私にしてみても、やっぱりホールで生の音を聞いてほしいという気持ちが強いです。

──オーケストラの演奏をCDで聴く場合、いったい何の情報が抜け落ちるのでしょうか?

平林 指揮者や演奏者の姿が見えないのは当然ですが(笑)。それ以上に、先ほど申し上げた観客に響くよう一音一音調整を重ねたサウンドの細かい要素が失われてしまいます。

オーケストラでは、楽器がそれぞれ違う位置で鳴っています。その空間的、物理的な要素もなくなってしまいます。

あくまで一音一音、その細部までコントロールすることが大切というか、そういう世界観に重きを置いているジャンルなのではないかと。最終的に人が聞いて楽しめればいいじゃないか、という意味では同じかもしれませんが。

指揮者に必要な資質、コミュ力・語学力・楽器の知見

──指揮者とオーケストラとの関係性はとても多層的ですね。1つ気になったのですが、指揮の技術はどのように教えられるものなのでしょうか?

平林 私なりに指揮法を文章化することはできますし、小澤征爾先生(※)の師匠である齋藤秀雄先生(※)という有名な指揮者がいるんですけど、その人が日本ではじめて指揮法の体系をまとめて、長らくそれが教えられてきました。

※小澤征爾:指揮者。2002~2003年のシーズンから2009~2010年のシーズンまでウィーン国立歌劇場音楽監督をつとめた。
※齋藤秀雄:チェロ奏者、指揮者。1956年に指揮の方法をメソッド化した『指揮法教程』を音楽之友社から出版した。

しかし齋藤先生のメソッドは、試行錯誤した本当に初期の段階のものなので、今日の実践の場でそのすべてのメソッドを使うことはできないんです。

つい2、3日前も指揮を勉強したい人にレッスンをしました。その人としては鋭い音が出したいのに、手がフニャって動いていたらフニャっとした音が出てしまうと。

例えば鋭い音といっても、手の振り方で音が変わってきます。

──先ほど実演もしていただきましたが、そんな違いで音が変わるんですか?

平林 変わります。つまり楽器の演奏とまったく同じなんです。指揮者から見たらオーケストラは楽器です。直接音は出してないけどれど、指揮棒の動作でバイオリンを弾いてるのと変わらないわけです。

──指揮者の教育メソッドが確立されているなら、指揮には基準があるということだと思います。すると、良い指揮・悪い指揮という概念は成立するのでしょうか?

平林 もちろんそうですよ。単純な技術の部分が明確にあります。しかし、もっとも重要なのは指揮者としての総合的な技術を持っているかどうかです。

──それこそ食品の栄養素の五角形みたいなものでしょうか。指揮者の技術をもう少し具体的にお聞きしたいです。

平林 私なりに言えば、棒の振り方の技術、音を聞く技術、コミュニケーションをとる技術ですね。

──オーケストラにおいて行われているコミュニケーションは、普段のコミュニケーションとどのように違うのでしょうか?

平林 オーケストラの何かがうまくいっていないときに、それを直す方法はいくつもあるんですよね。「そこうまくいってませんね」って指摘したり、もしくは言わずして、なんとなく視線を送って指摘する方法もあります。

仮にクラリネットがうまくいっていないとします。そこであえて指揮者が別の楽器のサポートをすると、それに合わせてクラリネットが吹きやすくなる、というように全体が良くなったりもします。

もちろんプレッシャーをかけたほうが良い場合もありますし、それは心理状況を見ながらコミュニケーションします。そういう意味では日常のコミュニケーションと変わらないかもしれません。

指揮者にとっての楽器はオーケストラの団員

──極端な話をしますが、例えば指揮者の腕をもう1本増やせば、指示できる内容も増えて、演奏の精度も上がるのでしょうか?

平林 そうでもないんですよね。2本の腕でいろいろな動きをしているより、片手で指揮棒を振ったほうがわかりやすい場合もいっぱいあります。情報が散逸してしまうんですよね。

大学の指揮科で勉強するなかで、むやみに左手を使わないという議論がたびたび行われてきました。

──ほかにはどのような資質が求められるのでしょうか?

平林 結構いっぱいありますね。楽譜を深いところまで正確に読む力も必要です。指揮者の能力で楽譜の読み込み方が変わってきます。

そのほかにも楽器に対する知見。オーケストラの楽器の性能を、実際にどれぐらい理解しているのかも技術の1つです。

あと、指揮者はいろいろな国の人とコミュニケーションをとる場合もあるので、単純に語学力も重要です。

指揮者は棒が振れて、みんなとうまくコミュニケーションがとれて、最低限その曲のことを理解していれば、とりあえずその場は済むんですけれど、それ以外に、音楽に関する深い知見をどれぐらい持っているかも重要です。

──曲への理解を深めることと、音楽に関する深い知見を養うことはどう違うんでしょうか?

平林 曲の勉強というのは、ピアニストで言えばその曲を弾けるように練習することですね。指揮者はそれを、曲を勉強すると言います。それと音楽全体の勉強というのは意味が違ってきます。

演奏する曲以外のこともどれくらい知見が深いかということは重要です。

──演奏する曲以外の音楽の知見がある/なしで、完成度にどのような影響が出るのでしょうか?

平林 そういう音楽への深い知見があることはオーケストラの団員を説得する際に役立ちます。

──なるほど。

平林 あとはオーケストラからもあまり好かれていなくて、技術があまり無かったとしても、お客さんを呼ぶ力があれば、それも才能だったりします。もちろん、耳の良さも独立した能力ですね。耳がどれだけ良いかが指揮者によってだいぶ違いますから。

抽象的な言い方になりますけど、人間性みたいなものが大きく関わってしまうので、本当に全身全霊で演奏するんです。なぜなら指揮者にとっての楽器はオーケストラの団員である人間なので。

指揮者は本番に向けてどのような準備をするのか?

──本番の日以外、指揮者はどのような音楽活動しているんですか?

平林 楽譜を読んで勉強している時間が長いはずです。ピアニストやバイオリニストであれば練習ってことなんですけど、指揮者の場合は練習というよりも楽譜を読んでいることが多く、それを勉強というだけですが。

音楽家・平林遼インタビュー

──楽譜を見ている間に、具体的に頭の中でどのようなことを考えているのでしょうか?

平林 そもそも現場で自分自身が使い物にならないといけないので。例えば曲をやるのが2週間後だとして、指揮台に立ったときに最低限仕事になるかっていうラインがあるんです。

完成度を深めようと思ったら、大げさな話、何年かけてもいいわけです。でも日々いろいろな曲の締め切りがやってくるので、最低限仕事になる、ちゃんと手が動いて、正確に音が聞けて、正確に楽譜に何が書いてあるか把握して、というところを考えていきます。

──もし準備が不十分だった場合、どんな状況が想定されますか?

平林 オーケストラから見たらそれは一発で見抜かれます。指揮者の話だとわかりにくいかもしれませんが。単純にピアニストやバイオリニストと同じで、全然練習しないで演奏会本番に起こる現象と同じです。

指揮者がちょっとでも違うふうに動いたらオーケストラはたちまち混乱するし、怒られちゃうわけです。

──ちなみに曲の勉強時間に報酬が発生するわけではないですよね?

平林 なので、時給換算するとすごく安いと思いますよ。人によっては1つの曲に何か月もかけてきてるわけですから。そうしたビジネスの感覚に置き換えたとすると、今の自粛ムードだと商売あがったりではあります。

ただ指揮者とか演奏家の場合は、自主的にいろいろな曲を勉強しなくてはと思っている人は多いんですね。なので、今回中止になった曲もいずれまたやるかもしれないと思って切り替えているのではないでしょうか。

指揮者たちがコンクールに挑む理由

──演奏会とは違い、コンクールにはどのような役割があるのでしょうか?

平林 指揮者として大活躍するには、おそらく、何か強力なコネクションでもない限り、大きなコンクールで賞を取ることが役立つと思います。

演奏家の活躍度合いもかなり幅がありまして、それぞれの活動内容に様々な差があるのは事実です。

単純に努力で乗り越えられる差ではないので、私も死にものぐるいでコンクールで格闘するのを何年も続けてきました。

昨年はたまたま賞をいくつかいただいて、それは本当に運が良かったというか、そこに達するまでは本当に大変です。

音楽家・平林遼インタビュー

──コンクールで賞を得ることは、指揮者の活動に必ずしも必要なのでしょうか?

平林 私の場合はようやくコンクールで賞を取ったので、昨年くらいからようやく少しずつ可能性が見えてきたところです。同世代の指揮者を見ると、私より先を行っている人たちも、何人か思い浮かびます。

今後4、5年でコンクールをはじめとしたはっきりわかるような成果をつかめるか否かで、私の、これからどのようなオーケストラを相手に仕事をしていくか人生が決まっていく感じですね。

──賞レースへの参加以外では、普段どのような営業活動をされているのでしょうか?

平林 現実はもっとシンプルというか、すごく一般的に多い話をすれば、指揮者は指揮をしてお金を稼ぐというのが基本です。

それだけの人が多い。加えて教えることをやってる人は教える仕事もしているという感じですね。実は、自分から営業する手段というのはすごく限られてるんですよね。

例えば私はいろいろな団体と関わって仕事をしてきてますけど、飛び込み営業的にオーケストラの事務局とかに行って「すいません、こういう者なんですけど使ってもらえませんでしょうか」っていうは一度もないですね。

私の一番最初の仕事は人との繋がりでした。先輩とか先生に「代わりにちょっとこのオーケストラの練習をしてくれないか」と。

オーケストラ自体はプロアマ合わせると1000以上あると思いますが、そういう意味ではすごく狭い世界とも言えます。

──つまり案件の数自体は多いけど、指揮者は少ないということでしょうか?

平林 他の業種から見ると、明らかにそういうことが言えると思います。

指揮者を目指すのはどんな人?

──ここまでお話を聞いて1つ気になったのですが、指揮者を目指す人というのは、最終的にどういった目標を持っているのでしょうか?

平林 基本的に指揮者になりたい人たちには、ウィーン・フィルハーモニーとかベルリン・フィルハーモニーとか、誰もが知ってるすごいオーケストラを指揮してみたい、という思いを抱いている人が少なくないと思います。

もちろんそこに到達するのは難しいことです。なので私を含めて、それぞれ必死に頑張っている、ということだと思います。

もちろん、そうではない人にも会ったことはありますが。こんなに特殊な世界を目指す以上は、「やれるところまでやってやろう!」と思っている人のほうが多いのではないでしょうか。

──指揮者はオーケストラにおいて1人だけ。それだけでもなるのが大変そうだと思います

平林 数が少ないので当然ながら狭き門です。自分で言うのも変ですが、指揮者になるのは本当に大変です。ただ、他のプロの演奏者だと楽器が何千万円としますから。そういう意味で楽器代はかかっていませんね。

指揮者を目指してる人たちの意見を聞くと、親御さんが寛容で「いいよ、好きなことやりな」というパターンのほうが多い気がしますが、私の場合は親を説得するのにいつも苦労していました。

──大変な道だとわかっていても、平林さんが指揮者の夢を諦めなかったのはなぜなのでしょうか?

平林 なぜでしょうね。大学の門下内でも「お前は指揮者になりたい気持ちが強いな」と言われていました。たぶん、指揮者になることへの執念が強いんでしょうね。

指揮者を目指したのは中学3年生のときで、吹奏楽部ではじめて指揮をしたときに、本当に体に電気が走ったような衝撃があったんです。それからは指揮者になることだけを考えていました。

とはいえ何からはじめていいかもわからず、とりあえず有名な小澤征爾先生のような方のDVDを買ってひたすら見て、よくわからないなりに分析をしていました(笑)。

──ありがとうございます。では最後に、現在、平林さんが指揮者として心がけていることを教えてください。

平林 常に心がけていることとしては、演奏において作曲家と一体になることです。ベートーヴェンの曲やるんだったら、まるでベートーヴェンが指揮してるようだと思われることを一番に目指すということです。

今どれだけできているかはわからないですけれど、自分のなかで一番大切にしていることですね。

直近で言えば、中止になった演奏会もありましたが、延期になったものもあります。それに向かって努力していきたいと思っています。

引用元

演奏会が中止になった指揮者に聞く音楽家の仕事 オーケストラを生演奏で聴くべき理由

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